●サルミエント
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
サルミエント
Sarmiento, Domingo Faustino
[没]1888.9.11. アスンシオン
アルゼンチンの政治家,作家,教育者。大統領 (在任 1868~74) 。内陸部の貧家に生れたが,独学で当時のヨーロッパ自由主義思想を身につけ,青年期より政治運動に身を投じた。 1840年チリに亡命し,当地で作家としての地位を確立した。 45年 J.ロサス独裁政権を批判する目的で著わした『ファクンド-文明と野蛮』 Facundo,o la civilización y la barbarieはラテンアメリカ文学の最高傑作の一つといわれている。 52年のロサス失脚後,故国で政治家,教育者として活躍し,大統領時代には,外国移民の奨励,初中等教育の普及にすぐれた業績をあげた。徹底した反スペイン主義者で,アメリカ模倣を唱え,後代に大きな影響を与えた。 52巻から成る全集がある。
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デジタル大辞泉
サルミエント(Sarmiento)
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世界大百科事典 第2版
サルミエント【Domingo Faustino Sarmiento】
アルゼンチンの政治家,大統領(在任1868‐74),文筆家。サン・フアン州の貧家に生まれ,小学校を卒業後,遠縁のホセ・デ・オロ神父の手引きでラテン語や古典を学び,また彼とともに早くから農村子弟の教育に携わった。1828‐31年,統一主義派の陣営に加わって,連邦派のファクンド・キロガ軍と戦ったが敗れ,チリに亡命した。チリでは教員,鉱山夫などを務め,36年に一時サン・フアンに戻って,雑誌《エル・ソンダ》を刊行し,また当時ヨーロッパからブエノス・アイレス市に伝わったロマン主義思潮に触れ,その信奉者となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
サルミエント
さるみえんと
Domingo Faustino Sarmiento
(1811―1888)
アルゼンチンの政治家、大統領(在任1868~74)。文筆家で教育者でもある。サン・フアン州に生まれる。17歳のときに中央集権派に加担して連邦派との抗争に参画し、のちチリに亡命し、ジャーナリストとして健筆を振るうかたわら、1845年に19世紀ラテンアメリカにおけるロマン主義文学の最高傑作といわれる『ファクンド――文明と野蛮』を発表した。同書では、国の後進性=野蛮を打破するために文明の導入=西欧化の必要性を強調したが、大統領時代には文明化の具体策としてヨーロッパ移民の誘致や教育の普及などを実施した。なかでも、学校の増設や師範学校の設立に大きな成果をあげ、アルゼンチンでは「教育の父」と評されている。
[松下 洋]
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精選版 日本国語大辞典
サルミエント
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