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ザクセン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ザクセン
Sachsen
ドイツ東部の地方名。その名は西ゲルマンの一部族ザクセン (サクソン) に由来するが,地域としてのザクセンの範囲は時代によって変遷がある。カルル1世 (大帝)による征服でフランク帝国に編入され,843年帝国の分割でルートウィヒ2世 (ドイツ王)の支配する東フランク王国が成立した頃は,その北部でザクセン部族公領 (現ドイツのニーダーザクセン州あたり) を形成した。オットー1世 (大帝)以来,神聖ローマ帝国初期のザクセン朝のもとでは,帝国の中枢部として対スラブ東方政策の拠点となり,12世紀以降の東方植民を通じて,ザクセンの領域はエルベ川以東に大きく広がった。この東方の新領域を中心として,15世紀にウェッティン家のもとでマイセン辺境伯領をも含むザクセン公国が成立したが,1485年の国土分割により,エルンスト家系とアルベルト家系に分れ,シュマルカルデン戦争までは前者が選帝侯国として M.ルターの宗教改革運動の中心をなした。チューリンゲン地方を含むエルンスト家系のザクセン公国は,それ以後ワイマール,ゴータなどいくつかの小領域に分解し (→ザクセン諸公国 ) ,18世紀にはプロシアの衛星国を形成した。ライプチヒドレスデンを中心とするアルベルト家系ザクセン公国は,鉱山資源に恵まれて経済的に発展し,近代のドイツにおけるプロテスタントの指導的国家であった。 1806年ナポレオン1世はザクセンを征服し,ザクセン王国をつくったが,ウィーン会議 (1814~15) でその北部約5分の2はプロシアに編入され,プロウィンツザクセン (のちのザクセンアンハルト州 ) となった。このとき,ニーダーラウジッツはプロウィンツブランデンブルクに,オーバーラウジッツの東部はプロウィンツシュレジエンに分割された。残りはドイツ連邦の一邦ザクセン王国となったが,プロシアの優位のもとで,67年北ドイツ連邦に加入を強いられ,ドイツ統一とともに帝国の一支邦となった。第1次世界大戦末期,革命により王制廃止,第2次世界大戦後はソ連占領地区となり,1952年ライプチヒ,ケムニッツ (1953~90年カルルマルクスシュタットと改称) ,ドレスデンの3県に分割されたが,90年ドイツ統一後,として復活した。

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デジタル大辞泉プラス

ザクセン
《Sachsen》ドイツ海軍の戦艦。超弩級戦艦。ザクセン級のネームシップ(改バイエルン級ともする)。1916年に進水するが建造中止となり、1920年代に解体。

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

ザクセン【Sachsen】
この地名は,今日,特別の限定なしに用いられる場合,二つの異なる地方を指示することができる。一つはドイツ連邦共和国を構成する州(ラント)の一つであるニーダーザクセンNiedersachsenを中心とする北ドイツ一帯であり,もう一つは東部のライプチヒ,ドレスデンなどを中心とするザクセン州一帯である。これを歴史的にさかのぼれば,前者はだいたい,初期中世におけるザクセン族の定住地域に行きつくのに対し,後者は近世におけるザクセン選帝侯国の中核部分だったところである。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ザクセン
ざくせん
Sachsen

ドイツの歴史的地域名。ラテン語名サクソニアSaxonia、英語名サクソニーSaxony。その範囲は時代によって変遷しているが、1180年以前は、ドイツ北部のライン川とエルベ川の間、ザクセン人の居住地域をさし、現在のドイツのニーダーザクセン州にその名が残る。

 1423年以後はエルベ川の上流、旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)南東部の地域をさし、ドレスデン、ライプツィヒ、カール・マルクス・シュタットの3県の範囲にほぼ相当した。この地域は、1947年から52年まで東ドイツの一州をなしていた。当時の面積は1万6993平方キロメートル、人口約555万8000であった。なお、1990年のドイツ統一によって、前記3県の範囲をもって新たにザクセン州が設けられた。州都はドレスデンである。今日でも石炭、鉄などの地下資源に恵まれており、ドイツの重要な工業地帯となっている。ほかにケムニッツ、ライプツィヒなどの都市がある。

[中村賢二郎]

歴史

ドイツ北部には古くより西ゲルマンのザクセン人が居住し、8世紀末カール大帝に征服されてフランク王国の一部となり、キリスト教化した。9世紀後半に強大なザクセン公国が形成されたが、1180年ハインリヒ獅子(しし)公の失脚によって瓦解(がかい)、その所領の一部とザクセン公位を継承したアスカニア家(1356年選帝侯位を取得)も1423年断絶し、ザクセンの範囲は縮小して、マイセン辺境伯のウェッティン家がその所領と選帝侯位を得た。以後このウェッティン家の支配地域であるエルベ川上流の地がザクセンとよばれることになる。ウェッティン家は1485年エルンスト系とアルブレヒト系に分かれ、エルンスト系が選帝侯位を相続し、宗教改革時代にはルターを庇護(ひご)したフリードリヒ賢公(3世)を出して、新教派諸侯のリーダーとなったが、シュマルカルデン戦争に敗れて選帝侯位と所領の一部はアルブレヒト系に移り、以後アルブレヒト系がザクセンの中心的存在となった。フリードリヒ・アウグスト1世(在位1694~1733)と同2世(在位1733~63)の時代に絶対主義的統治機構が整い、学芸が栄え、繊維工業を中心として産業も発展し、ザクセン選帝侯はポーランド王位を兼ねた。当時の首都ドレスデンがバロック風の華麗な都市となったのもこの時代である。しかしポーランド王位を兼ねたことから北方戦争(1700~21)に巻き込まれ、また七年戦争(1756~63)でオーストリア側について大打撃を被った。1806年にはナポレオンにくみしてライン同盟に加入し、ナポレオンから王国を名のることを許されたが、ウィーン会議(1814~15)でその領土のなかば以上をプロイセンに割譲させられた。フランスの七月革命(1830)の影響のもとに暴動が起こり、1831年憲法を発布したが、48年ドイツに起こった三月革命以後は反動的政治に傾いた。プロイセン・オーストリア戦争ではオーストリア側にたって敗れ、1866年北ドイツ連邦に加盟、以後ドイツ帝国、ワイマール共和国へと引き継がれた。第一次世界大戦後の1919年王制が廃止され、ナチス支配下の33年ドイツ(第三帝国)の一州となった。第二次大戦後はドイツ民主共和国に属して一州を構成した。

[中村賢二郎]

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精選版 日本国語大辞典

ザクセン
(Sachsen)
[一] ドイツ東部、チェコと国境を接する州。古くはゲルマン人の部族サクソン人の居住地。石炭、鉄などの地下資源が豊富でルールとならぶ工業地帯。州都ドレスデン。他にケムニッツ、ライプチヒなどの都市がある。ラテン語名サクソニア。

出典:精選版 日本国語大辞典
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