●シェーレ
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
シェーレ
Scheele, Karl Wilhelm
[没]1786.5.21. チェーピング
スウェーデンの実験化学者。 1756年エーテボリの薬局で徒弟修業を始める。以来,稼業にいそしむかたわら研究に励む。ウプサラ大学教授 T.O.ベリマンに師事し,スウェーデンはもとよりドイツ,イギリスの大学から教授に招かれるが,生涯薬局の経営と一研究者という立場を貫いた。ストックホルム王立科学アカデミー会員 (1775) 。多くの新物質を独自に発見したことで知られる。有機化合物では酒石酸,クエン酸,安息香酸,シュウ酸,甘没食子酸,乳酸,尿酸など,無機化合物ではモリブデン酸,亜ヒ酸銅,タングステン酸カルシウムなど,元素としては塩素,マンガン,バリウム,モリブデン,タングステン,窒素,酸素などがある。特に酸素については J.プリーストリーの発見に約2年先立っていたが,発表が遅れたため,シェーレの発見とされていない。シェーレの発見にはこのような例が少くない。
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デジタル大辞泉
シェーレ(Karl Wilhelm Scheele)
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シェーレ(〈ドイツ〉Schere)
2 ⇒鋏状(はさみじょう)価格差
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世界大百科事典 第2版
シェーレ【Schere[ドイツ]】
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シェーレ【Karl Wilhelm Scheele】
スウェーデンの化学者。シュトラールズント(現,ドイツ領)の商人の家に生まれた。14歳で薬局の徒弟となって化学を独学し,ストックホルム,ウプサラで薬局に勤めつつ化学実験にうちこんだ。1772年ころはじめて酸素ガスをつくり,それが燃焼を支える空気の成分であることを明らかにしたが,著書《空気と火に関する化学論文》(1777)の出版が遅れたために酸素発見の栄誉はJ.プリーストリーに譲ることになった。74年軟マンガン鉱の研究において塩素,マンガン,バリタ水(水酸化バリウム)を発見したほか,硫化水素,フッ化水素,青酸,ヒ酸,グリセリン,酒石酸,シュウ酸,クエン酸,モリブデン,酸化タングステンなど多数の化学物質を発見,また骨灰からリンの製出,銀塩に対する光の作用の研究,石墨が炭素であることを明らかにするなど,多くの業績を残した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
シェーレ
しぇーれ
Karl Wilhelm Scheele
(1742―1786)
ドイツ系スウェーデンの薬学者、化学者。生誕地シュトラルズントは現在はドイツにあるが、当時はスウェーデンに属していた。年少のころから薬学に興味を覚え、それを一生の仕事とするため、14歳で学校を終えたのち、イョーテボリにある薬局で見習いを始めた。8年ほど勤めたのち、この地を去って各地を放浪し、ストックホルム、ウプサラにもしばらく滞在した。大学は出ていなかったが、もっぱら見習いで鍛えた優秀な腕を駆使して、両地滞在中に新しい物質を次々と発見した。それらの重要な発見が認められて、1775年にスウェーデン科学アカデミーの会員に選ばれた。同年チェピングという小さな町の薬局を任されることになり、以後、死ぬまでここを離れなかった。
彼の発見したものに、亜硝酸、フッ化水素(フッ化ケイ素酸との混合物ではあったが)、塩素、尿酸、乳酸、青酸、グリセリン(グリセロール)、その他多くのものがある。しかし当時はまだ元素の概念も確立しておらず、彼の仕事は単に新物質をつきとめたにとどまる。同じことが彼の酸素の発見についてもいえる。プリーストリーは、気体酸素(彼は「脱フロギストン空気」とよんだ)を1774年に得たが、シェーレはそれより早く、ウプサラ滞在中、1771年ごろには得ていたと考えられる。これは、酸化水銀、炭酸銀、硝酸マグネシウム、硝石などを熱するか、あるいは二酸化マンガンをヒ酸または硫酸とともに加熱して得られたようである。この気体が燃焼を支え動物の呼吸を助けることから、これを「火の空気」とよんだ。彼の唯一の著作『空気と火についての化学教程』は、1777年になるまで出版されなかったため、彼の発見が外国に知られるのが遅れた。また彼は、当時の燃焼理論であった、燃焼とは燃素の遊離だとするフロギストン説を捨てなかった。
[吉田 晃]
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精選版 日本国語大辞典
シェーレ
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シェーレ
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化学辞典 第2版
シェーレ
シェーレ
Scheele, Karl(Carl) Wilhelm
スウェーデン生まれのドイツ人薬剤師.14歳のとき“一角獣薬局”の徒弟となって以来,六つの都市を転々としつつ,生涯のほとんどを薬局の徒弟として過ごした.化学は,N. Lemery(1645~1715年)やH. Boerhaave(1668~1738年)などの著作を読み独学した.1770年から,18世紀のもっとも有名な化学者の一人ウプサラのT.O. Bergman(1735~1784年)と知り合い交流する.かれはBergmanに非常に多くの実地の知識を提供し,Bergmanはかれに理論的明晰さを与えた.43年の短い生涯の間に,古今東西例を見ないほど数多くの化学物質と現象を発見した.そのなかでもっとも有名なのは,J. Priestley(プリーストリー)やA.L. Lavoisier(ラボアジエ)と並ぶ酸素の独立発見である.1770~1773年に燃焼現象を体系的に研究し,“火の空気”(酸素)を発見した.その研究成果を1774年“空気と火についての化学論文”としてまとめたが,出版を仲介したBergmanの追試と序文の遅れがあって,1777年にやっと出版された.元素としてはこのほか塩素も発見し,その他多数の無機物質,有機物質を発見・生成した(ヒ酸,モリブデン酸,タングステン酸,フッ化水素,フッ化ケイ素,酪酸,酒石酸,コハク酸,マレイン酸,シュウ酸,硫化水素,亜ヒ酸銅,グリセリン,一連のエステル,シアン化水素,シアン化カリウム,アルデヒドなど).理論的には,Priestleyと同じく生涯フロギストン説に立っていた.
出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
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