●シエナ大聖堂【シエナだいせいどう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
シエナ大聖堂
シエナだいせいどう
Duomo di Siena
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
シエナ‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【シエナ大聖堂】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
シエナだいせいどう【シエナ大聖堂 Duomo,Siena】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
シエナ大聖堂
しえなだいせいどう
Duomo di Siena
イタリアにおけるもっとも豪奢(ごうしゃ)なゴシック式聖堂で、中部イタリアのシエナ市にある。12世紀中期に起工され、造営期間は13、14両世紀にわたる。1215年に主要部分の建設がほとんど終了し、64年にクーポラ(円蓋(えんがい))が完成、84~95年にジョバンニ・ピサーノによってファサード(正面)下部の装飾が完了し、1313年にカンパニーレ(鐘塔)が建立され、完成を目前にしながら工事は停滞していた。ところが1339年に至り、おりから造営が進行中のフィレンツェの大聖堂と覇を競うべく、これまで構築された建物を翼廊に転用する巨大な新大聖堂の計画が提案される。そしてただちに新計画による工事が開始されたが、シエナ市の財政上の逼迫(ひっぱく)や1348年のペストの流行で、工事は中断を余儀なくされた。新たに建設された部分を取り壊し、在来どおりの計画に戻って、1376年にジョバンニ・ディ・チェッコが正面上部の装飾に着手し、82年にはアプスが完成した。度重なる設計変更のため、外観構成とプランに秩序とシンメトリーを欠くうらみはあるが、美観は損なわれていない。壁面は白と黒の大理石による横縞(よこじま)模様で装われ、この中世都市にふさわしい瀟洒(しょうしゃ)なたたずまいをみせている。床面に施された旧約物語を題材にした多色大理石のはめ込み細工は、豪奢で精巧な技法を示しており、ニコラ・ピサーノ一門による説教壇、ドナテッロの手になる『洗礼者聖ヨハネ像』はともに彫刻史上の逸品である。アプスに隣接する洗礼堂には、ギベルティ、ドナテッロ、ヤコポ・デッラ・クエルチアの浮彫りで装われた洗礼盤が設置されている。
[濱谷勝也]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「シエナ大聖堂」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●シエナ大聖堂の関連情報
関連キーワード
| ハドリアヌス| アッタロス[2世]| 還付金| ハドリアヌス| ミトリダテス[1世]| アッタロス2世| ハドリアヌス| ミトラダテス1世| 五賢帝| 選挙運動|