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シカゴ学派【シカゴがくは】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

シカゴ学派
シカゴがくは
Chicago school
J.デューイ,G.ミードらの「人間のあらゆる認識を行動の場でとらえる」ことを目指すプラグマティズムと,1930年代シカゴ大学に来たウィーン学団の R.カルナップ,C.ヘンペルなどの科学記号の論理的解明を目指す運動の2つが合体して成立した記号論研究集団をさす。初めウィーン・シカゴ学派と呼ばれ,のち,特にシカゴ大学のメンバーだけをシカゴ学派と呼ぶようになった。 A.コージブスキーの『科学と正気』 Science and Sanity (1933) による一般意味論──記号とその刺激による人間の行動を問う──との関連が深い。 38年シカゴに一般意味論研究所が設立された。

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シカゴ学派
シカゴがくは
Chicago school
シカゴ大学の M.フリードマンを中心とする経済学派。この学派の特徴は,現代で最も徹底した経済的自由主義の立場に立ち,経済政策面では景気変動失業,物価上昇などの要因として貨幣供給量を重視し,政府の合理的な経済運営は原則として通貨供給量の調節のみによって行われるべきで,財政政策金利政策などの政府の経済への直接的な介入は望ましくないとする点にある。この点で,財政政策による政府の積極的な経済のリードを支持し,それをケネディ政権のもとで実行したニューエコノミクス主張とは大いに異なる。 1960年代後半から 70年代初頭にかけてのニクソン政権の経済政策に影響を与えた。新貨幣数量説あるいは新貨幣主義 neo monetalismとも呼ばれている。

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シカゴ学派
シカゴがくは
Chicago school
1892年に開設され,シカゴ大学社会学部を拠点として活躍した研究者グループや研究スタイル。初期のアルビオン・W.スモールやウィリアム・I.トマス,第2世代のロバート・E.パーク,アーネスト・W.バージェス,ウィリアム・F.オグバーンなど優れた指導者によって率いられたグループは,1920年代から 1930年代にかけてシカゴ学派の黄金時代を築いた。彼らは急激な産業化・都市化の進展する社会の病理状況を,それまでの社会改良主義とは異なり科学的立場から研究することを目指し,移民の新たな環境への適応過程や都市内部の貧困犯罪,非行(→少年非行)の空間的分布,人種エスニシティの対立,不法ビジネス,政治腐敗,労働争議,さらにこれらをめぐる世論や制度的対応の仕方にも目配りした数多くの研究論文を著した。トマスとフローリアン・ズナニエツキ『ヨーロッパおよびアメリカにおけるポーランド農民』The Polish Peasant in Europe and America(全5巻,1918~20),ネルス・アンダーソン『ホボ』The Hobo(1923),フレデリック・M.スラッシャー『ギャング』The Gang(1927),ハーベイ・W.ゾーボー『ゴールド・コーストとスラム』The Gold Coast and The Slum(1929),ポール・G.クレッシー『タクシー・ダンスホール』The Taxi-Dance Hall(1932),クリフォード・R.ショーとヘンリー・D.マッケイ『非行少年と都市地域』Juvenile Delinquency and Urban Areas(1942)などが代表的なものである。こうした研究には,手紙や生活史の記録や犯罪などの公式統計,人口標準地域のデータに基づくドットマップ参与観察など多角的な方法が用いられている。シカゴ学派の中心概念である「社会解体」は現在の研究にも継承され,社会規範の弛緩や住民相互の統制力の弱体化,さらに住民の生活基盤全体の悪化をとらえる概念として活用されている。犯罪の「社会コントロール論」や「割れ窓理論」「インナーシティーの貧困論」は,今日的観点による社会解体論である。

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シカゴ学派
シカゴがくは
Chicago school
統計学や心理学を導入して『政治研究の現状』 (1921) ,『政治学の新局面』 (25) を著わし,政治学研究の革新運動を先導した C.E.メリアムの指導下に育った一群の政治学者。 L.ホワイト,H.ゴスネル,Q.ライト,H.ラスウェル,F.シューマン,R.マーティン,V.O.キー,G.アーモンド,A.ライサーソン,C.H.プリチェット,H.サイモン,D.トルーマンらがこれに属している。彼らは科学的な行動研究において共通しているが,政治学研究に対するその貢献が高く評価されるにいたったのは 1950年代においてである。

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世界大百科事典 第2版

シカゴがくは【シカゴ学派 Chicago school】
〈シカゴ学派〉という用語は経済学・社会思想のほか,政治学(C.E.メリアムらを中心に科学的政治学を唱道),社会学(A.W.スモールらの第一世代は実証的方法を提唱R.E.パークらの第二世代は都市社会学で成果をあげた),人類学などの分野でも用いられる。いずれもシカゴ大学がそれぞれの分野で,ある時期に世界的影響を与えたことから発生した用語である。経済学・社会思想の分野におけるこの学派は1940年代のF.A.ハイエクに代表され,ハイエクがシカゴを去ったのちには,マネタリズム(新貨幣数量説)の提唱者でもあるM.フリードマンがその代表的学者と考えられることが多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

シカゴ学派
しかごがくは
Chicago School

経済学派の一つ。日本の家元制度(場合によると学派)と異なり、オーストリア学派を典型として、シカゴ学派も師弟関係が中心になって発生したものではない。したがって日本流の創始者は、シカゴ学派にはいない。だが、フランク・H・ナイトFrank Hyneman Knight(1885―1972)が、やがてシカゴ学派として知られるようになったグループの、もっとも早期における学者たちの指導的人物であったことは疑いない。それどころか、ナイトこそ(ハーバード大学教授となったオーストリア人ジョセフ・A・シュンペーターなどを除けば)、アメリカの理論経済学の創始者であった。このことは、その弟子のなかから、ジョージ・J・スティグラー、ミルトン・フリードマン、ポール・A・サミュエルソンという3人が、やがてノーベル経済学賞を授与されることからも明らかである。しかも、これらの3人は、それぞれ経済学の教科書を刊行したが、そのどれもが恩師ナイトの教科書(市販はされなかった)『経済組織』Economic Organizationの影響を、それなりに歴然として受けていることからも、ナイトの偉大さがうかがわれる。

 ナイト自身は、不確実性問題を中心に、リスク(危険)や利潤問題を専攻したが、その理論的に厳密きわまりない価格理論こそ、その後のシカゴ学派の伝統的な一大特徴となった。また、その自由経済理論は、同僚のヘンリー・C・サイモンズやジェイコブ・バイナーらの自由経済理論とともに、シカゴ学派のもう一つの伝統的一大特徴となった。

 シカゴ学派は、現在ではシカゴ大学の経営学部の中核を構成しているだけでなく、法学部が刊行している学術誌『法と経済学』Law and Economicsにみられるように、法学部の一大特色をもなしている。これは、アーロン・ディレクター(フリードマンの義兄)によって、第二次世界大戦後早期に刊行され始め、ディレクターの後を継いだロナルド・H・コースのもとに、いまや法学と経済学との学際的問題だけでなく、いわゆる「政治の経済学」の一大拠点ともなっている。ディレクターの影響を受けて、スティグラーはシカゴ学派の産業理論分野における大きな伝統を確立した。フリードマンは、ロイド・ミンツという貨幣論を専門とする教師から薫陶されはしたが、フリードマンの貨幣理論は彼自身が独自に樹立したものであり、この点はスティグラーも同様であって、独創的であり、産業組織論以外にも「情報の経済学」の樹立と推進に創造的貢献をしてきている。

 シカゴ学派の現在を支えているのは、ゲイリー・S・ベッカーとロバート・E・ルーカスである。ベッカーは、シカゴ大学の経済学部長を長年にわたって務めたセオドア・W・シュルツの影響を受けて、「人的資本論」を専攻した。シュルツは、この理論分野を開拓した功によってノーベル経済学賞を授与されたが、「人的資本論」を確立し、理論面で本格的にこれを拡充したのはベッカーである。ルーカスは、フリードマンの影響を受けて、「期待と景気変動理論」を専攻したが、これをさらに「合理的期待理論」へと発展させることによって、新しく経済理論分野を開拓した。

 そしていまや、シカゴ学派は第三世代へと移行し始めており、ベッカーやルーカスを継ぐ世代が台頭してきている。

[西山千明]

『M. W. Reder“Chicago Economics : Permanence and Change,” Journal of Economic Literature, Vol. 20, No. 1 (March, 1982)』

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精選版 日本国語大辞典

シカゴ‐がくは【シカゴ学派】
〘名〙
① 二〇世紀初頭、シカゴ大学のスモールやトマスを中心として形成された社会学の一グループ。社会過程の実証的研究を重要視し、社会の実態を事例研究法を用いて調査した。
② ハイエク、フリードマンに代表される経済的自由主義の立場に立つ経済学派。伸縮的価格機構の資源配分機能への信頼と新貨幣数量説(マネタリズム)の主張によって知られる。

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