●シュリー
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
シュリー
Śrī
サンスクリット語で,本来は利益,富,吉祥などを意味する。インド神話では豊穣,繁栄の女神の名とされる。一説によると,アーリア人のインド侵入以前の,先住民の崇拝していた女神であるとされる。ビシュヌ神の神妃とされ,しばしばラクシュミー Lakṣmīとも呼ばれるが,シュリーとラクシュミーとは本来別個の女神であったとされる。また仏教にも取入れられて,吉祥天となっている。
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世界大百科事典 第2版
シュリー【Maximilien de Béthune,baron de Rosny,duc de Sully】
1559‐1641
フランスの政治家。古くからの貴族の家系であったが,祖父の代より家運が傾き,小所領ロニーを残すのみの没落小貴族の出身である。両親がカルビニズムに帰依し,彼自身も早くより新教派に加わってアンリ・ド・ナバール(のちのアンリ4世)の側近となった。1589年アンリ4世即位とともに重用され,事実上の宰相をつとめ王国の復興に貢献した。農業を重視し,タイユ税軽減や役畜・農具の差押え禁止など農民保護立法を推進した。〈農耕と牧畜はフランスの双の乳房〉という彼の言葉は,農本主義的な思想をよく表している。
フランスの政治家。古くからの貴族の家系であったが,祖父の代より家運が傾き,小所領ロニーを残すのみの没落小貴族の出身である。両親がカルビニズムに帰依し,彼自身も早くより新教派に加わってアンリ・ド・ナバール(のちのアンリ4世)の側近となった。1589年アンリ4世即位とともに重用され,事実上の宰相をつとめ王国の復興に貢献した。農業を重視し,タイユ税軽減や役畜・農具の差押え禁止など農民保護立法を推進した。〈農耕と牧畜はフランスの双の乳房〉という彼の言葉は,農本主義的な思想をよく表している。
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