@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

シュレジエン戦争【シュレジエンせんそう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

シュレジエン戦争
シュレジエンせんそう
Silesian Wars
18世紀中期に,シュレジエン領有をめぐってオーストリアプロシアの間で行われた2度にわたる戦争。なお,七年戦争を第3次シュレジエン戦争と呼ぶこともある。 (1) 第1次 (1740~42)  オーストリア継承戦争が起るとプロシア王フリードリヒ2世 (大王)は,この機に乗じて領土の拡大をはかり,オーストリアのマリア・テレジアに対してシュレジエンの一部の割譲を要求した。オーストリアがこれを拒否すると,1740年 12月シュレジエンに進攻し,オーストリア軍を各地で破り,その結果翌年7月イギリスの仲介でベルリンで和約が結ばれ,オーストリアはプロシアの全シュレジエン領有を認めた。 (2) 第2次 (44~45)  その後,オーストリア継承戦争がオーストリアに有利に展開してくると,シュレジエンを奪回されることを恐れたフリードリヒはフランス,バイエルンと結び,再び戦端を開いてボヘミア,モラビアに侵攻した。オーストリア軍は善戦し,一時優位に立ったが,45年6月ホーエンフリーデブルクの戦いでプロシア軍に敗れ,さらに長駆ベルリンに進撃しようとしたオーストリア軍もラウジッツに敗れた。マリア・テレジアはドレスデンで和議を結びプロシアのシュレジエン領有を再度承認した。こののちの七年戦争でもマリア・テレジアの失地回復はならなかった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

シュレジエンせんそう【シュレジエン戦争】
3次にわたるプロイセンとオーストリアの戦争で,同時に長期にわたるイギリスとフランスとの植民地戦争と重なり,ドイツにおけるプロイセンの,また世界におけるイギリスの優位をもたらした。(1)第1次(1740‐42) マリア・テレジアのオーストリア相続を認めていたプロイセン王フリードリヒ2世(大王)は,代償にシュレジエンを求めて占領し,オーストリア継承戦争口火を切った。反オーストリアのブルボン連合に支援されてバイエルン公カール・アルブレヒトの皇帝即位(カール7世)が実現すると,プロイセンはイギリスの調停により,ブレスラウ(現,ブロツワフ)に和を結び,シュレジエンを確保する。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

旺文社世界史事典 三訂版

シュレジエン戦争
シュレジエンせんそう
Schlesischer Krieg
オーストリアとプロイセンとの間に行われた3回のシュレジエン争奪戦
第1次(1740〜42),第2次(1744〜45)でプロイセンのフリードリヒ2世(大王)がこの地を占領し,第3次(1756〜63)で完全に領有。なお,第1次・第2次はオーストリア継承戦争の,第3次は七年戦争の一部をなす。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

シュレジエン戦争」の用語解説はコトバンクが提供しています。

シュレジエン戦争の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation