●シーア派【シーアは】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
シーア派
シーアは
Shī`ah
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知恵蔵
シーア派
シーア派とスンニ派の対立は、預言者ムハンマドの後継者問題に始まる。シーア派は、スンニ派が認めたアブ・バクルら第1~3代の指導者を正統な後継者(カリフ)とは考えず、第4代のアリーだけをムハンマドの宗教的権威を継ぐ最高指導者(イマーム)と崇め、その子孫も聖人化する。アリーはムハンマドの娘婿で従弟であり、シーア派はその血筋を重視したわけである。このことから「アリーの党派(シーアット・アリー)」と呼ばれ、その後シーアと略称されるようになった。ただし、イマームは聖典コーラン(クルアーン)の無謬(むびゅう)の解釈者ではあるが、ムハンマドのような預言者ではない。ムハンマドだけがアッラーの啓示を伝える預言者であり、また、メッカ、メディナ、エルサレムを三大聖地とする点でも、スンニ派と変わりない。
その後、シーア派内では誰をイマームと認めるかによって、ザイド派(5イマーム派)、イスマーイール派(7イマーム派)、12イマーム派に分かれた。現在の最大宗派は12イマーム派で、イランの国教にもなっている。 ザイド派はアラビア半島南部、イスマーイール派は南アジアと中央アジアに多い。なお、ファーティマ朝のハーキム(第6代カリフ)を神格化し、イスラム社会で異端視されているドルーズ派も、イスマーイール派から分かれた一派である。
国別に見ると、バーレーン、イラク、アゼルバイジャンなども、シーア派が多数を占めている。また、レバノン南部やサウジアラビア東部にも信者が多い。レバノンを拠点に活動するヒズボラ(神の党)は、シーア派の原理主義組織である。
(大迫秀樹 フリー編集者 / 2011年)
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朝日新聞掲載「キーワード」
シーア派
(2008-03-28 朝日新聞 夕刊 2総合)
出典:朝日新聞掲載「キーワード」
デジタル大辞泉
シーア‐は【シーア派】
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世界大百科事典 第2版
シーアは【シーア派 Shī‘a】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
シーア派
しーあは
Shī‘a
スンニー派とともにイスラム教を二分する諸分派の総称。スンニー派に比しその数は圧倒的に少ない。元来は、預言者ムハンマド(マホメット)の正当な後継者(カリフ)は彼の従兄弟(いとこ)で女婿のアリーのみであると主張する者たち、すなわち「シーア・アリー」(アリーの党派)を意味した。
[鎌田 繁]
沿革
ムハンマドの没後、アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリーを正統カリフとして承認した大多数の信者がスンニー派を形成したのに対し、シーア各派はアリーと彼に続くその子孫たちのみが正当な後継者、ムスリム共同体の最高指導者「イマーム」であると主張し、ウマイヤ朝政府にしばしば反乱を企てた。この政治的な分派活動はアリーの子孫のうちだれをイマームとして認め、どのような権能を与えるかという宗教論争を伴い、シーア派は多くの分派を生み出した。
[鎌田 繁]
特徴
各派は独自の神学、法学を発展させているが、その神学は理性を重視する合理主義的傾向が強い。イマームには神に由来する秘教的知識や無謬(むびゅう)性という超自然的性格がさまざまな度合いで与えられ、その言行は神的権威をもつとされ、その位は神意に基づいた前任者の指名によって伝えられる。アリーの子フサインのカルバラーでの殉教が示すように、受難を救いへの一過程とみる傾向がある。現在はイマームは隠れているが将来ふたたび現れ、この世を正義で満たすというメシア思想や、古代オリエントのグノーシス主義や新プラトン主義を受容した神秘思想がみいだされる。
[鎌田 繁]
分派
多くの分派があるが、代表的なものには、イランの国教でもっとも信者数の多い十二イマーム派、現在もアーガー・ハーン4世(在位1957~ )をイマームと仰ぐ支派が存続するイスマーイール派、イエメンに現在も存続するザイド派などがある。ザイド派はフサインの孫、ザイド・イブン・アリーを祖とし、カスピ海南岸に広まった一派である。スンニー派に近い穏健な教義をもち、ムハンマドの一族であること、有事に剣をとる能力、そして学識があることをイマームの条件としており、指名による相続の観念はない。合理主義的なムゥタジラ派神学の影響が強く、秘教的教説を拒む。このほか、シーア派の思想を母体にして発達した宗教や宗派には、シリアにおけるドルーズ教およびヌサイリー(アラウィー)派、イランにおけるアハレ・ハック(アリー・イラーヒー)派、バーブ教、それから生まれたバハーイ教などがある。
[鎌田 繁]
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精選版 日本国語大辞典
シーア‐は【シーア派】

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旺文社世界史事典 三訂版
シーア派
シーアは
Shī‘ah
シーアッド−アリー(アリーの一党)の意。4代目カリフのアリーとその子孫をムハンマドの正統後継者と主張し,カリフ選挙制を否認。最初は政治的な党派であったが,後には一宗派となった。16世紀サファヴィー朝の下でイランの国教となった。現在インド・イラク・イエメンの一部にも散在し,32の小分派がある。信徒数は全イスラームの1割以下。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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