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シーボルト

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

シーボルト
Siebold, Alexander Georg Gustav von
[生]1846.8.16. ライデン
[没]1911.1.23. テグリー
ドイツの外交官。 P.シーボルト長子安政6 (1859) 年父の再訪日に同伴して来日。三瀬周三らについて日本語を修得し,のち駐日イギリス公使館員 (通訳官) となり,明治3 (70) 年以後日本政府の外務省,ローマ,ベルリンの日本公使館に奉職,明治初期から中期にかけて日本の外交交渉に貢献し,1910年在職 40年にあたり勲二等瑞宝章を受けた。

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シーボルト
Siebold, Carl Theodor Ernst von
[生]1804.2.16. ウュルツブルク
[没]1885.4.7. ミュンヘン
ドイツの動物学者。 P.F.vonシーボルトの伯父にあたる。生物学者の家庭に生れ,ベルリン,ゲッティンゲン両大学に学んで,一時開業医を営んだのち,エルランゲン,フライブルク,ブレスラウ,ミュンヘン各大学教授をつとめた。彼が無脊椎動物を,F.スタニウスが脊椎動物を担当した共著『比較解剖学教科書』 Lehrbuch der vergleichenden Anatomie (1846) は,それまでの類書につきまとっていた哲学臭を一掃し,観察事実に基礎をおいて書かれた比較解剖学書として最初のものであった。 1852年には『動物学雑誌』 Zeitschrift für wissenschaftliche Zoologieを発刊。これは生物学の専門誌として最も重要なものの一つとなった。彼は寄生虫学者としても著名であり,寄生虫がその生活史の各段階に応じて異なる種類の動物に寄生する場合のあることを,実例をあげて示した。

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シーボルト
Siebold, Philipp Franz von
[生]1796.2.17. ウュルツブルク
[没]1866.10.18. ミュンヘン
ドイツの医者。江戸時代後期の文政6 (1823) 年長崎オランダ商館の医師として来日,翌年長崎郊外鳴滝に診療所を兼ねた学塾を開き,伊東玄朴高野長英黒川良安ら数十名の門人西洋医学および一般科学を教授した。商館長の江戸参府随行 (26) ,日本に関する研究資料をも集めた。帰国に際し,いわゆるシーボルト事件を起し処罰され,文政 12 (29) 年に日本から追放された。安政6 (59) 年オランダ商事会社員として再来日,幕府の外交にも参与し,文久2 (62) 年帰国。『ニッポン』 Nippon (32~54) ,『日本植物誌』 Flora Japonica (35~70) ,『日本動物誌』 Fauna Japonica (33~50) など日本関係の論著が多い。

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朝日新聞掲載「キーワード」

シーボルト
フィリップ・フランツフォン・シーボルトは、1796年、ドイツ生まれ。1823年に長崎出島オランダ商館付の医師兼自然科学調査官として来日した。私塾を開設し西洋医学を伝える一方、オランダ政府の命で動植物鉱物、民族資料を集めた。28年に帰国準備をするなか、積み荷に幕府禁制の地図が含まれていることが発見され、国外追放処分となった(シーボルト事件)。 開国後の59年に2度目の来日。外交顧問などを務め3年滞在、再び資料収集をして帰国した。1866年、70歳で病死
(2016-10-11 朝日新聞 夕刊 文化芸能)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

シーボルト
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、1796年、ドイツ生まれ。1823年に長崎・出島のオランダ商館付の医師兼自然科学調査官として来日した。私塾を開設し西洋医学を伝える一方、オランダ政府の命で動植物や鉱物、民族資料を集めた。28年に帰国準備をするなか、積み荷に幕府禁制の地図が含まれていることが発見され、国外追放処分となった(シーボルト事件)。 開国後の59年に2度目の来日。外交顧問などを務め3年滞在、再び資料収集をして帰国した。1866年、70歳で病死。
(2016-10-11 朝日新聞 夕刊 文化芸能)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

デジタル大辞泉

シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)
[1796~1866]ドイツの医者・博物学者。1823年、オランダ商館の医師として来日。長崎に鳴滝塾を開設、診療と教育とに当たり、日本の西洋医学発展に影響を与えた。シーボルト事件により1829年に追放。1859年、再び来日、幕府の外事顧問を勤めた。著「日本」「日本植物誌」「日本動物誌」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

シーボルト Siebold, Heinrich Philipp von
1852-1908 ドイツ人外交官。
1852年7月21日ドイツのボッパルト生まれ。P.F.シーボルトの次男。明治2年(1869)兄A.G.シーボルトにしたがい来日。オーストリア-ハンガリー帝国公使館の代理公使,横浜領事代理,上海総領事などをつとめた。勤務のかたわら,考古学の研究にあたり,「考古説略」をあらわした。1908年8月11日死去。56歳。

出典:講談社
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シーボルト Siebold, Philipp Franz von
1796-1866 ドイツの医師,博物学者。
1796年2月17日生まれ。楠本(くすもと)いねの父。文政6年(1823)長崎出島のオランダ商館医として来日。鳴滝(なるたき)塾などで医学,博物学をおしえ,日本の洋学発展につくす。11年国禁の地図の海外持ち出しが発覚し,国外追放となる(シーボルト事件)。帰国後「日本」「日本植物誌」などをあらわす。安政6年再来日。長男,次男ものち日本で外交官として活躍。1866年10月18日死去。70歳。ビュルツブルク出身。

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シーボルト Siebold, Alexander Georg Gustav von
1846-1911 ドイツ人外交官。
1846年8月16日オランダのライデン生まれ。P.F.シーボルトの長男。安政6年(1859)再来日の父とともに長崎にくる。文久2年駐日イギリス公使館の通訳官となり,慶応3年幕府の遣欧使節一行に随行した。明治3年から日本政府にやとわれ,ベルリン駐在日本公使館書記官などをつとめた。1911年1月23日死去。64歳。

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世界大百科事典 第2版

シーボルト【Philipp Franz Balthasar von Siebold】
1796‐1866
江戸後期にオランダ東インド会社の日本商館付医員として来日したドイツ人医師。ドイツ語の読みはジーボルト。南ドイツのビュルツブルクに生まれる。大学卒業後,1823年ジャワに渡り,同年(文政6)長崎に来航。出島の商館勤務のかたわら,許可を得て長崎郊外鳴滝に学塾兼診療所(鳴滝塾)を開設した。吉雄権之助らオランダ通詞をはじめ,美馬順三,高野長英,伊東玄朴,高良斎ら多数の日本人を蘭学者として育成,門人たちに課題を与えてオランダ語による論文を提出させた。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

シーボルト【Philipp Franz von Siebold】
1796~1866 ドイツの医者・博物学者。1823年オランダ商館医官として来日。長崎の鳴滝塾で診療と教育を行い、多くの俊秀を集めた。28年離日の際、日本地図の海外持ち出しが発覚、国外追放となる(シーボルト事件)。59年再来日。著「日本」「日本動物誌」「日本植物誌」など。

出典:三省堂
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367日誕生日大事典

シーボルト
生年月日:1846年8月16日
ドイツの外交官
1911年

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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精選版 日本国語大辞典

シーボルト
[一] (Karl Theodor Ernst von Siebold カール=テオドール=エルンスト=フォン━) ドイツの生理学者、動物学者。クラゲの発生、内臓寄生虫、昆虫類などの研究によって単性生殖の実在を確証。主著「無脊椎動物の比較解剖学」「蝶類および蜂類の単性生殖」。(一八〇四‐八五
[二] (Philipp Franz von Siebold フィリップ=フランツ=フォン━) ドイツの医学者、博物学者。オランダ商館の医官として一八二三年(文政六)来日。五九年(安政六)にはオランダ商事会社の顧問として再度来日。長崎郊外に鳴滝塾を開いて診療とオランダ医学の教授にあたり、伊東玄朴、高良斎、高野長英らを育てた。また、日本の動植物を研究。著書「日本」「日本動物志」「日本植物志」。(一七九六‐一八六六

出典:精選版 日本国語大辞典
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