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ジャムチ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ジャムチ
ǰamchi
中国,駅伝漢字では站赤と表わされる。チンギス・ハンの時代から,モンゴル帝国を結ぶ交通路線に設けられ,オゴデイのときに制度が規定された。そして大都 (北京) を中心とした幹線道路には,10里ごとに駅舎が設けられ,官員,使臣の護送に使用された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

ジャムチ【Jamchi】
モンゴル帝国,元朝の駅伝制度。jamとはモンゴル語で〈道〉を,ジャムチはそれをつかさどる人のをあらわす。すでにチンギスハーンの時代,欧亜にまたがる大帝国の巨大な版図を緊密に連絡する必要から設けられていたが,第2代オゴタイ・ハーンの時に整備され,諸ハーン国や属国などにも敷設されて相互の直接的な結びつきをはかった。元朝においてはジャムチ網が中国全域に及び,機能は多様化し制度もさらに改良された。站(たん)とよばれる駅は,站戸の供出による駅馬やその他必要物資を備え,公務旅行者や使節などに駅馬や食事を与え,接待を行った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

ジャムチ
じゃむち / 站赤
Jamchi
モンゴル帝国および元帝国の駅伝。オゴタイ・ハンの治世の初年(1229)に制度が整えられ、各駅に車馬、人夫、宿舎、飲食物が備えられ、官吏、使者の護送、物資の輸送に利用された。このため首都カラコルムを中心としたユーラシア大陸東西の交流が活発化した。元代には首都の大都(北京(ペキン))を中心に、牛、船、犬など、それぞれの土地に便利な輸送交通手段も採用された。利用許可証である「牌(はい)(牌子(し))」(パイザ)、「舗馬聖旨(ほばせいし)」(ヤルリグ)をもつ者は、その証明内容に応じて駅を利用できた。駅務にあたる「站戸(たんこ)」は世襲であって、その負担を軽減するため、一定の免税処置を受けていたが、なお困窮しがちであった。[松田孝一]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

ジャムチ
Jamchi
站赤
モンゴル帝国の駅伝の仕事に従う役人。転じて駅伝の意
Jamは駅伝を意味する中世モンゴル語。それを中国で「站」と写した。遼・金代からの制度を受け継ぎ,元代にはチンギス=ハン以来整備され,路線は統治下の全領域に広がり,東西交流促進に重要な役割を果たした。幹線道路に設けられた駅では,駅馬の提供,使臣の接待のほか,郵便・警察業務も行った。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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