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ジャン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ジャン
Jean,Raymond
[生]1925.11.21. マルセイユ
フランスの作家,批評家。近現代文学を専攻。大学で教鞭をとる一方,マルキシズムの周辺で,政治参加と方法識に裏打ちされた小説を書き続ける。『二つの春』 Les deux printemps (1971) ではパリの五月革命とプラハの春,『暗い泉』 La Fontaine obscure (74) では 17世紀の魔女裁判とスターリニズムの照応のなかで,政治と愛の物語を融合させた。ほかに小説『写真・思い出』 Photo-souvenir (80) ,『読書する女』 La Lectrice (86) ,評論『ネルバル』 Nerval (64) ,『文学の実践』 Pratique de la littérature (78) など。

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ジャン
Jean
[生]1921.1.5. コルマーベルク(ベルク城)
[没]2019.4.23.
ルクセンブルク大公(在位 1964~2000)。ルクセンブルク女大公シャルロットの第1子として生まれる。父はブルボン家の分枝であるブルボン・パルマ家のフェリーチェ(フェリックス)。第2次世界大戦中の 1940年5月,ドイツ軍がルクセンブルクに侵攻したため,大公一家は亡命を余儀なくされ,国外へ脱出した。1942年,ジャンはイギリス陸軍に志願し,カナダからイギリスへ移ってサンドハースト陸軍士官学校で教育を受けながら,近衛部隊の一つであるアイリッシュガーズに所属した。近衛兵はバッキンガム宮殿でイギリス王室の護衛にあたるため,家族がイギリス国王を訪問したときも,その後ろで任務につかなければならなかった。1943年少尉,1944年中尉に昇格し,同 1944年6月,イギリス陸軍の一員としてノルマンディー上陸作戦(→オーバーロード作戦)に参加。1944年9月にはアメリカ軍とともにルクセンブルクに向かい,ドイツ軍の一掃に加わった。1945年帰国。1953年元ベルギー国王レオポルド3世の娘ジョゼフィーヌ・シャルロットと結婚し,3男2女をもうけた。1961~64年皇太子としてシャルロット女大公の代理を務め,1964年11月シャルロットの生前退位によって跡を継ぎ,ルクセンブルク大公(元首)となった。2000年10月生前退位し,息子のアンリに譲位した。

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デジタル大辞泉プラス

ジャン
株式会社湖池屋の菓子「ポリンキー」のキャラクター。「スリーポリンキーズ」のひとり。

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世界大百科事典 第2版

ジャン【Jean】
1371‐1419
バロア家系ブルゴーニュ公家第2代当主。1399年,ニコポリス十字軍に参加し,勇敢な働きでサン・プールSans Peur(〈恐れ知らず〉の意)のあだ名を得る。1404年家督相続の後,亡父の志を継いでネーデルラントに家勢の伸張を図る。加えてフランス王家家政の実権掌握を狙い,従弟オルレアン公ルイと対立し,07年これを暗殺する。そのためアルマニャック派諸侯と敵対関係に立つことになり,13年,カボシュ一揆を機に一時パリを退去するが,18年,再び王政府の実権を握る。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ジャン
じゃん
Jean
(1371―1419)
バロア家系ブルゴーニュ公家第2代当主。1399年対オスマン・トルコ十字軍に参加し、勇敢な働きで「サン・プールsans Peur」(恐れ知らず)のあだ名を得る。母はフランドル伯女マルグリット。その血筋からフランドル伯領ほかを相続した。ネーデルラントのホラントほか諸伯領に支配を及ぼしていたバイエルン・ストラウビンク公家の女マルグリットを妻とした。1404年、家督相続ののち、父フィリップ1世の志を継いで、ネーデルラント方面に家勢の伸張を図った。加えて、宗主フランス王家の実権掌握をねらい、従弟オルレアン公ルイと対立し、07年これを暗殺した。ここにアルマニャック諸侯と敵対関係にたち、13年カボシュ暴動を機に一時パリを退去したが、18年ふたたび王政府の実権を握った。廃嫡された王太子シャルルを擁したアルマニャック派諸侯により、19年、モントローに設定された談合の席上、暗殺された。[堀越孝一]

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367日誕生日大事典

ジャン
生年月日:1371年5月28日
フランスの百年戦争中のブルゴーニュ公(在位1404〜19)
1419年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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デジタル大辞泉

ジャン
ジャンパー」の略。「革ジャン」「スタジャン

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