●ジヤール朝【ジヤールちょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ジヤール朝
ジヤールちょう
Ziyārids; Ziyāriyān (Āl-i Ziyār)
イラン北部のタバリスタンとジュルジャーンを支配した地方王朝 (930~1090頃) 。ギーラーンの土着王族出身のマルダービージュ (在位 930~935) がタバリスタンに自立して創始。一時イスファハン,ハマダーン方面にまで支配を拡大。その後サーマン朝の進出とブワイフ朝の台頭に押されながら,かろうじてタバリスタンとジュルジャーンを保持。カーブース (在位 977~1012) の治世の後半ようやく安定を回復し,ジュルジャーンの宮廷ではビールーニーらの著名な学者,文人の活躍がみられた。カーブースののち,ガズニー朝,次いでセルジューク朝に臣従して勢力を減じ,アサッシン派がタバリスタンで活動を開始する 1090年頃史上から消えた。
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世界大百科事典 第2版
ジヤールちょう【ジヤール朝 Ziyār】
カスピ海南岸地方を中心に,イラン北部を支配したイラン系王朝。927‐1090年ころ。ダイラム西部のギーラーン地方の族長マルダーウィージュ・ブン・ジヤールMardāwīj b.Ziyār(在位927‐935)が,仕えていたサーマーン朝の総督を倒し,その領地レイ,カズビーン,ザンジャーン,コムを奪って独立した。彼の時代が最盛期で,イスファハーンやハマダーンをも勢力下に置いた。しかし935年に,彼が配下のトルコ人奴隷によって暗殺されて以降は急速に衰退し,サーマーン朝,ガズナ朝の宗主権下に,カスピ海南岸部で辛うじて命脈を保つだけになった。
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