●ジョージ4世【ジョージよんせい】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ジョージ4世
ジョージよんせい
George IV
[生]1762.8.12. ロンドン
[没]1830.6.26. バークシャー,ウィンザー
ハノーバー朝第4代のイギリス王 (在位 1820~30) 。ジョージ3世の長男。皇太子時代から放蕩と浪費の悪名高く,ホイッグ党の政治家と親交を結び,父王とは不和であった。 1785年ひそかにカトリック教徒の婦人 M.フィッツハーバートと結婚したが,2年後議会でこの結婚は否認された。その後もこの婦人と交渉を続けながら,莫大な負債を清算するために,父王の姪であるカロラインと 95年結婚したが,まもなく別居。 1820年にはカロラインとの離婚が政治問題化した。父王の精神錯乱のため,11~20年に摂政をつとめ,その時期から即位後にかけてトーリー党に好意をもち,あらゆる改革に反対した。しかし王の意に反して「カトリック教徒解放法」 (29) も成立し,国王の権威は失墜した。
[没]1830.6.26. バークシャー,ウィンザー
ハノーバー朝第4代のイギリス王 (在位 1820~30) 。ジョージ3世の長男。皇太子時代から放蕩と浪費の悪名高く,ホイッグ党の政治家と親交を結び,父王とは不和であった。 1785年ひそかにカトリック教徒の婦人 M.フィッツハーバートと結婚したが,2年後議会でこの結婚は否認された。その後もこの婦人と交渉を続けながら,莫大な負債を清算するために,父王の姪であるカロラインと 95年結婚したが,まもなく別居。 1820年にはカロラインとの離婚が政治問題化した。父王の精神錯乱のため,11~20年に摂政をつとめ,その時期から即位後にかけてトーリー党に好意をもち,あらゆる改革に反対した。しかし王の意に反して「カトリック教徒解放法」 (29) も成立し,国王の権威は失墜した。
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ジョージ4世
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