●スキャパレリ
世界大百科事典 第2版
スキャパレリ【Elsa Schiaparelli】
フランスのファッション・デザイナー。ローマで生まれ,結婚してアメリカに住んだが,離婚後,1927年パリに移住した。カラーとネクタイをだまし絵風に編みこんだセーターが認められ,店を開いた。33年,パゴダ・スリーブを発表し,一躍人気デザイナーになる。肩の張ったシルエットは30年代の女性の代表的なイメージとなった。20年代をシャネルの時代とするなら,30年代はスキャパレリの時代であった。2人は激しく張り合い,シャネルはこの外国からきた女をデザイナーとして認めなかった。
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スキャパレリ【Giovanni Virginio Schiaparelli】
イタリアの天文学者。1854年トリノ大学を卒業後,ベルリン,プルコワの天文台に学んだ。60年に帰国してミラノのブレラ天文台の観測技師となり,1862‐1900年に同天文台長を務めた。1861年に小惑星ヘスペリア(第69番)を発見,また64年にペルセウス座流星群とタトルすい星の軌道が一致することを見いだしたのを皮切りに,66年には広く流星群とすい星の関係を解明して近代流星天文学の基礎を築いた。 スキャパレリは望遠鏡による惑星面観測の大家としても著名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
スキャパレリ
すきゃぱれり
Giovanni Virginio Schiaparelli
(1835―1910)
イタリアの天文学者。1854年トリノ大学土木工学科を卒業後、同大学で数学を教えながら近代言語学と天文学を研究。1857年ベルリン天文台でエンケに、ついでプルコボ天文台でF・シュトルーベに師事。1860年帰国後ミラノのブレラ天文台に着任。1862年同天文台長。1900年に台長を勇退し、同地で余生を送る。1861年に小惑星ヘスペリアを発見。1866年8月のペルセウス流星群の周期軌道を計算して、1862年出現の第三彗星(すいせい)のそれと一致することを確認し、彗星が流星群の母体であると判定した。また、しし座流星群は1866年出現の第一彗星の分身であることを明らかにした。1872年この発見により王立天文協会の金賞を受けた。また1877年火星の表面に網目状の線条を検出し、これを運河と名づけて問題を投げかけた。
[島村福太郎]
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スキャパレリ
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