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スタニスワフ1世レシチンスキ【スタニスワフいっせいレシチンスキ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

スタニスワフ1世レシチンスキ
スタニスワフいっせいレシチンスキ
Stanisław I Leszczyński
[生]1677.10.20. ポーランド,ルウフ
[没]1766.2.23. フランス,リュネビル
ポーランド王(在位 1704~11,1733~36)。北方戦争開始後,スウェーデン王カルル12世の支持を受け,アウグスト2世(フリードリヒ・アウグスト1世)を失脚させて即位したレシチンスキ家出身の選挙王。1709年のポルタバの戦いでカルル12世が敗北してのちフランスに亡命し,1725年に娘マリ・レシチンスカルイ15世に嫁がせてフランス王室と姻戚関係を結んだ。アウグスト2世の死没直後,フランスと議会の圧倒的多数の支持で王位に復帰したが,1733~35年のポーランド継承戦争でオーストリアとロシアが推挙したアウグスト3世(フリードリヒ・アウグスト2世)に敗れ,再度フランスに亡命。ルイ15世の好意で 1736年にロレーヌ公となり,リュネビルに宮廷を構えて善政を行ない,経済発展に貢献し,ナンシーにアカデミーを創設して啓蒙時代フランスの文化的発展に寄与した。農奴制とシュラフタ勢力のリベルム・ウェト(自由拒否権)に集約された伝統的なポーランドの国政の欠陥を批判したその主著『自由を保障する自由な言論』Głos wolny wolność ubezpieczający(1749)は,内外の注目を集めた。分割時代の愛国的な進歩主義的シュラフタを勇気づけただけでなく,ジャン=ジャック・ルソーを一躍有名にした『学問芸術論』Discours sur les sciences et les artsのなかで,ルソーが論陣を張った相手でもあった。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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