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スチュアート朝【スチュアートちょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

スチュアート朝
スチュアートちょう
Stuart(Stewart; Steuart) Dynasty
スコットランドとイングランド王朝 (1371~1714) 。家系は 11世紀のブルターニュに発し,12世紀にブリテン島に渡り,スコットランド王デービッド1世に仕えてその司宰 stewardになった。6代目司宰ウォルター (1326没) は国王ロバート1世ブルースの娘と結婚し,1371年その子ロバートが王位 (ロバート2世在位 71~90〉) につき,王家を創始した。以後,ロバート3世 (在位 90~1406) ,ジェームズ1世 (在位 06~37) ,ジェームズ2世 (在位 37~60) ,ジェームズ3世 (在位 60~88) ,ジェームズ4世 (在位 88~1513) ,ジェームズ5世 (在位 13~42) ,メアリースチュアート (在位 42~67) と続き,ジェームズ6世 (在位 67~1625) のとき,ジェームズ1世 (在位 03~25) としてイングランド王位を兼ねるにいたった。次のチャールズ1世 (在位 25~49) が清教徒革命によって処刑されたのち一時とだえたが,1660年王政復古によってチャールズ2世 (在位 60~85) が復位し,88年名誉革命によってジェームズ2世 (在位 85~88) が追われたのちはウィリアム3世 (在位 89~1702) とメアリー2世 (在位 1689~94) の共同統治となり,次のアン (在位 1702~14) の時代の 1707年イングランド,スコットランド両国は合同して同君連合状態は終ったが,王統は彼女をもって絶え,ハノーバー朝に代った。共同統治を含めて君主 15人に及んだが,処刑,暗殺,戦死など非業の死をとげた者は6名に達し,イングランド王位を兼ねるまでの9代中未成年で即位した者は7名を数えた。なおハノーバー朝成立後も,ジェームズ2世の子孫 J.F.E.スチュアートと C.E.スチュアートは王位を要求し続けた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

スチュアートちょう【スチュアート朝 Stuarts】
中世末期から18世紀初頭にかけてのスコットランドとイングランドの王朝。その家系はブルターニュのフランス系貴族に由来し,12世紀からスコットランドに定住した。スコットランド王家に宮宰として仕え,国王ロバート・ブルースのイングランドに対する抗戦を支持し,1371年には一門のロバート2世が王位について,スチュアート朝を始めた。スチュアートの名称は宮宰stewardに由来する。スコットランドでは,イングランド,フランスなどの外国勢力と結んだ貴族間の抗争が激烈を極めたため,王権基盤は弱く,スチュアート朝の諸王には殺害されたり戦場で倒れたものが続出し,多くは未成年で即位した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

スチュアート朝
すちゅあーとちょう
イギリスの王朝。ピューリタン革命および名誉革命を経験した。元来は1371年以来のスコットランドの王朝。家系は11世紀のブルターニュ地方の貴族までさかのぼり、その一部が12世紀にスコットランドに移住してスコットランド王のスチュワードsteward(宮宰)となった。スチュアートStuartという家名はこれに由来している。その後第6代目の宮宰ウォルターWalterが、スコットランド王ロバート1世(在位1306~29)の娘と結婚したため、その子ロバートが1371年に王位を継承し(~1390)、ここにスコットランドにおけるスチュアート朝が始まった。1542年ジェームズ5世(在位1513~42)の死によって、その娘メアリーが女王として王位を継いだ(~67)が、彼女はイングランドの反乱に加担して、1587年チューダー朝のイングランド女王エリザベス1世によって処刑された。メアリーの子ジェームズはスコットランド王位を継承した(ジェームズ6世。在位1567~1625)のち、1603年、エリザベス1世の後を襲ってイングランド王位も継承(ジェームズ1世。在位1603~25)、両国の王位を兼ねるに至る。これはジェームズがチューダー家の血統を引いていたためであり、ここにイングランド(イギリス)におけるスチュアート朝が始まった。
 ジェームズ1世の子チャールズ1世(在位1625~49)は、順当に王位を継承したものの、ピューリタン革命のさなかに処刑され、大陸に逃れたその子チャールズ2世が1660年王位に復した(~1685)。しかしチャールズ2世没後、カトリックであった王弟ジェームズ2世(在位1685~88)が即位したため、カトリック化を恐れる人々が彼を王位から追い(名誉革命。1688)、王冠はスチュアート家の血を引くオレンジ公ウィリアムとその妻メアリーの手に渡った。そして1714年、メアリーの妹アン(在位1702~14)の死去により、スチュアート朝は断絶し、ハノーバー朝が開始された。(書籍版 1987年)[小泉 徹]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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