●スフォルツァ家【スフォルツァけ】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
スフォルツァ家
スフォルツァけ
Sforza
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
スフォルツァ‐け【スフォルツァ家】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
日本大百科全書(ニッポニカ)
スフォルツァ家
すふぉるつぁけ
Sforza イタリア語
ルネサンス期イタリア、ミラノの名家。ほぼ1450~1535年の間ミラノ公。家を興したのは、農民出身の傭兵(ようへい)隊長ムツィオ・アッテンドロMuzio Attendolo(1369―1424)。その豪胆さゆえに暴れ者(スフォルツァ)とあだ名された。その子フランチェスコFrancesco Sforza(1401―66)も知勇に優れ、イタリア屈指の傭兵隊長として地位を確立、ビスコンティ家のミラノ追放後共和国が樹立されると、これを征服し、自らミラノ公の座についた(1450)。彼は有能な政治家で、同地方の産業、文化の発展およびイタリアの政治的安定にも貢献した。その死後、長男のガレアッツォ・マリーアGaleazzo Maria(1444―1476)がミラノ公を継ぎ(1466)、さらには次男のルドビコ・イル・モロLudovico Sforza, Il Moro(1452―1508)が摂政(せっしょう)を経てミラノ公になった(1494)。しかしルドビコは保身のため外国勢力をイタリアに招くという愚挙を犯し、結局は自らもルイ12世によりミラノを追われた(1499)。以後スフォルツァ家はルイ12世、カール5世の傀儡(かいらい)としてミラノ公の地位を保つが、1535年、公国は後者の領土に併合され、同家は没落した。
[在里寛司]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
精選版 日本国語大辞典
スフォルツァ‐け【スフォルツァ家】
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
スフォルツァ家
スフォルツァけ
Sforza
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「スフォルツァ家」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●スフォルツァ家の関連情報