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スペンサー【すぺんさー】

日本大百科全書(ニッポニカ)

スペンサー(Edmund Spenser)
すぺんさー
Edmund Spenser
(1552?―1599)
イギリス・ルネサンス期の頂点を示す詩人の1人。ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学に入学したが、貧困ゆえに減費生の扱いを受ける。卒業後、ロチェスターの主教ヤングの秘書となる。やがて大学時代の友人を通じてレスター伯の知遇を受け、伯の甥(おい)シドニーを中心とする詩人たちと知り合う。1579年『牧人の暦』を出版。このころ『妖精(ようせい)女王(フェアリー・クイーン)』の執筆にかかる。また、結婚もしたらしい。1580年、新総督グレー卿(きょう)に伴われ秘書としてアイルランドに渡る。その後、行政官として生活の本拠をこの植民地に置き、86年にはキルコルマンに城と領地を買い求める。植民地政策として、力による弾圧がもっとも有効であると考え、その所見を『アイルランドの現状についての考察』(1633)に展開している。86年シドニーの死に際して牧歌体挽歌(ばんか)『アストロフェル』(1595)を書く。89年ロンドンに帰り、翌年『妖精女王』の前半三巻を出版。エリザベス女王はこの詩を喜び、詩人に年金50ポンドを与えるが、彼が期待する宮廷での官職は得られず、むなしくアイルランドへ戻った。女王賛美と宮廷風刺の牧歌『コリン・クラウト故郷に戻る』(1595)は、このときの体験を素材にしている。
 91年、初期習作を集めて詩集『嗟嘆(さたん)』を出版。これには、動物寓意(ぐうい)詩の形で宮廷人を風刺する「ハバードばあさんの話」が含まれている。同年、挽歌『ダフナイダ』を出版。
 1594年エリザベス・ボイルと再婚。求愛の過程はソネット集『アモレッティ(恋愛小曲集)』(1595)に、婚礼の喜びは情熱的で格調の高いオード『エピサレーミオン(結婚祝歌)』(1595)に歌われている。96年ふたたびロンドンに滞在、『妖精女王』後半三巻を出版。ウースター伯息女の結婚を祝う『プロサレーミオン(結婚前祝歌)』、新プラトン主義的哲学詩『賛歌四編』(「愛」「美」「天上の愛」「地上の美」、前二者は若いころの作)もこの年の出版。98年アイルランドで反乱が起こり、キルコルマンの城は焼かれ、スペンサーはロンドンに逃げ帰ったが、翌年1月16日、失意のうちに死去。遺骸(いがい)はウェストミンスター寺院の「詩人の一隅」、チョーサーのかたわらに葬られた。[藤井治彦]
『フリーマン著、藤井治彦訳『スペンサー』(1970・研究社出版) ▽藤井治彦他著『ルネッサンスと反ルネッサンス』(1974・学生社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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