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スミス

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

スミス
Smith, Adam
[生]1723.6.5. 〈洗礼〉スコットランド,カーコーディ
[没]1790.7.17. エディンバラ
イギリスの経済学者,哲学者。ことに古典派経済学の祖として著名。グラスゴー大学,オックスフォード大学に学んだのち,母校グラスゴー大学で道徳哲学講座を 13年間担当。その後バックルー公の家庭教師としておもにフランスに滞在 (ほぼ3年) し,重農主義者と交わる。帰国後は公の年金によって生活し,この間に有名な『諸国民の富の性質と原因に関する研究』 (『国富論』) An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations (1776) を 10年の歳月をかけ完成。この作によって彼は後年「経済学の父」と呼ばれるにいたり,今日の近代経済学,マルクス経済学は等しくこのスミスの『国富論』から出発している。『国富論』は経済学を初めて理論,歴史,政策にまたがる体系的科学とし,その重商主義批判は 19世紀以降イギリスの自由通商政策の支柱となった。晩年グラスゴー大学総長となり,終生独身であった。他に『道徳感情論』 The Theory of Moral Sentiments (59) がある。

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スミス
Smith, Alfred Emanuel
[生]1873.12.30. ニューヨーク
[没]1944.10.4. ニューヨーク
アメリカの政治家。 1903~15年ニューヨーク州議会議員,13年には同議長。 19~20,23~28年ニューヨーク州知事を4期つとめ,28年の大統領選挙では民主党大統領候補の指名を受けたが,共和党の H.フーバーに敗れた。しかし大統領選に最初に立候補したカトリック教徒の民主党候補としては,労働者の多い北東部の大都市でめざましく進出して注目された。 32年の「ルーズベルト革命」の以前に 28年の「アル・スミス革命」があったとさえいわれている。

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スミス
Smith, A.J.M.
[生]1902.11.8. カナダ,モントリオール
[没]1980.11.21. アメリカ合衆国,ミシガン,イーストランシング
カナダの詩人,批評家。フルネーム Arthur James Marshall Smith。マギル大学在学中の 1925年に文芸誌『マギル・フォートナイトリー・レビュー』McGill Fortnightly Reviewを創刊,1920年代カナダ詩復興のリーダーとなった。また "The Book of Canadian Poetry" (1943) に始まる一連のカナダ詩のアンソロジーを編纂した。(→カナダ文学

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スミス
Smith, Bessie
[生]1895.4.15. テネシーチャタヌーガ
[没]1937.9.26. ミシシッピ,クラークスデール
アメリカの黒人ブルース歌手。 1920年代中期には「ブルースの女王」として人気の頂点にあったが,1937年地方巡業中事故死。 70年代に入ってレコードが再び脚光を浴びた。

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スミス
Smith, David
[生]1906.3.9. インディアナ,ディケーター
[没]1965.5.23. バーモント,ベニントン
アメリカの彫刻家。オハイオ州立大学,ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学ぶ。初め抽象的,超現実的絵画を描いたが,1933年『カイエ・ダール』誌でピカソ金属彫刻を見て感動し,金属刻を志して以後6年間ブルックリンの鉄工所アトリエをもって制作を続けた。 38年ニューヨークで最初の個展を開き,アメリカ抽象美術家展に出品ステンレススチールの表面に傷をつけ,それを箱状に組立てたものを組合せた作品を制作し,彫刻の新しい方向を追究した。 1960年代,金属の箱を組合せた作品『キュービ』により,最も重要なアメリカ現代彫刻家と目される。 65年交通事故で死亡

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スミス
Smith, Francis Hopkinson
[生]1838.10.23. メリーランドボルティモア
[没]1915.4.7. ニューヨーク
アメリカの小説家。初め技師だったが,50歳を過ぎてからたまたま書いたユーモラスな小説『カーターズビルのカーター大佐』 Colonel Carter of Cartersville (1891) で有名になり,以後次々と作品を発表した。ほかに画集もある。

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スミス
Smith, Sir Francis Pettit
[生]1808.2.9. ケント,ヒース近郊
[没]1874.2.12. サウスケンジントン
イギリスの発明家。船のスクリュープロペラ改良,普及に大きな役割を果した。少年時代から船の推進機に興味をもち,1835年スクリュープロペラの実験に成功してからは,生涯スクリューの改良に努めた。スクリュープロペラをつけた航洋船『アルキメデス』号 (240t) を製作 (1839) ,推進機としてのスクリューの優秀性を立証した。その後,彼は特に軍艦のスクリュー装備に力を注ぎ,71年ナイトの称号を贈られた。

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スミス
Smith, George
[生]1840.3.26. ロンドン
[没]1876.8.19. ハラブ
イギリスのアッシリア研究家。 S.H.C.ローリンソンらの影響を受けて,1867年以後大英博物館に勤め楔形文字板を解読。 72年ノアの洪水伝説に類似したカルデアの記録を見つけて発表。その後『デーリー・テレグラフ』紙の資金によるニネベ発掘にも参加した。

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スミス
Smith, Sir George Adam
[生]1856.10.19. カルカッタ
[没]1942.3.3.
スコットランドの牧師,セム学者。旧約聖書の研究家,説教者として知られた。エディンバラに学ぶ。アバディーンで牧会 (1882) 。グラスゴーのユナイテッド・フリー・チャーチ大学で旧約聖書学教授 (92) 。 1899年アバディーン大学学長に就任。 1916年ナイト爵を受ける。主著聖地の歴史地理』 Historical Geography of the Holy Land (94) ,『12人の預言者たち』 The Twelve Prophets (2巻,96~97) 。

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スミス
Smith, Gerard Coad
[生]1914.5.4. ニューヨーク
[没]1994.7.4. メリーランド,イーストン
アメリカの外交官。エール大学卒業。 1939~50年弁護士。 50~54年アメリカ原子力委員会特別補佐官。 54~57年国務長官特別補佐官 (原子力問題担当) 。 57~61年国務次官補 (政策企画担当) 。 69年軍縮局長。 69~72年米ソ戦略兵器制限交渉 SALTのアメリカ首席代表,77年国際原子エネルギー機構アメリカ代表ならびに無任所大使に就任した。

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スミス
Smith, Grafton Elliot
[生]1871.8.5. グラフトン
[没]1937.1.1. プリムローズ
イギリスの解剖学者,人類学者。マンチェスター大学教授。文明のエジプト起源説で知られた。彼は古代エジプトの墳墓の人骨の研究に端を発して,ミイラの製作,巨石建造物,太陽信仰などを特徴とする古代エジプトの文化が,一元的に発生して世界各地に広まり,諸文明のもとになったと考えた。著書『文明の起源』 In the Beginning; The Origin of Civilization (1932) は,考古学者 W.ペリーの『日の御子』 (23) とともに極端な伝播主義で知られる (→伝播論 ) 。

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スミス
Smith, Sir Harry George Wakelyn, Baronet
[生]1787.6.28. イーリー島
[没]1860.10.12. ロンドン
イギリスの軍人。ナポレオン1世に対する半島戦争,アメリカ=イギリス戦争,ワーテルローの会戦など,各地で従軍,転戦したのち,1828年ケープ植民地駐在官となり,34~35年現地民カフィル人との紛争に活躍。 40年インド駐在となり,45年からのシク戦争 (第1次) において,アリーウォールの戦い (1846.1.28.) を指揮して勝利を博した。 47年陸軍中将,准男爵となり,総督として再度ケープ植民地に赴任。翌年オレンジ川流域をイギリス領に併合,これに反対したボーア人撃破。 52年解任されて帰国

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スミス
Smith, Ian
[生]1919.4.8. ローデシア,セルクウェ
[没]2007.11.20. 南アフリカ共和国,ケープタウン
ローデシア (現ジンバブエ) の政治家。フルネーム Ian Douglas Smith。スコットランドから移住した農民の子。南アフリカ連邦のローズ大学卒業。 1948年野党の自由党からイギリス自治植民地の南ローデシア立法院議員となり,1961年白人優越を提唱するローデシア戦線を結成した。 1964年4月ローデシア戦線政府の首相に就任以来,イギリスに対し白人支配下での独立を要求,1965年 11月に南ローデシアの一方的独立宣言を行ない,1970年3月には共和国移行を宣言した。しかし 1977年9月,穏健派黒人勢力と「国内解決」をはかる方向に政策を転じ,1978年3月ソールズベリー協定に調印。 1979年6月1日白人と黒人の連合政府ジンバブエ・ローデシアの誕生とともに,アベル・T.ムゾレワ内閣の一閣僚となった。 1980年2月完全独立を目指した総選挙でジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線 ZANU-PFが第一党となり,黒人多数支配のジンバブエ共和国として独立すると,事実上政界での影響力を失った。 1987年まで国会議員を務めた。 (→ローデシア問題 )

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Smith, James
[生]1719?
[没]1806.7.11. ペンシルバニア
アメリカの法律家。独立宣言署名者の一人。アイルランドからペンシルバニアに移民し弁護士を開業。アメリカ独立革命では西部の代表として活躍。ペンシルバニアからの大陸会議への代表 (1776~78) 。独立後は法律家として活躍,熱烈な州権論者として知られる。

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スミス
Smith, Jededlah Strong
[生]1798.6.24. ニューヨーク,ベインブリッジ
[没]1831.5.27. シマロン川上流
アメリカの探検家,毛皮交易業者。 1826年ソルトレークを出発し,ユート族パイユート族,モヘイブ族インディアンの領有地を通り,シェラネバダを縦断してカリフォルニアにいたる道を初めて踏破。さらに 28年オレゴン沿岸を探検。 29年からサンタフェ道交易に従事したが,コマンチ族に殺害された。

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スミス
Smith, John
[生]1554頃
[没]1612. アムステルダム
イギリスのバプテスト派の創始者。ケンブリッジ大学に学び,イギリス国教会の牧師となったが,1606年離脱。 08年ヘルウィスらと分離派の一団を率いてアムステルダムへ亡命,バプテスト教会を設立。 11年スミスと分れた同志はイギリスに帰り,「一般バプテスト派」の祖となる。アルミニウス主義 (→アルミニウス派 ) に立ち,のちメノー派接近。ために晩年は孤立。主著『真の祈りの型』A pattern of True Prayer (1605) 。

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スミス
Smith, John
[生]1580頃.リンカーンシャーウィロビー
[没]1631.6. ロンドン
イギリスの軍人,探検家,作家。バージニアのジェームズタウン植民地の建設者の一人。 1604年頃ハンガリーで兵士としてトルコ軍と戦う。 07年チェサピーク湾に3隻の船を進めて,ジェームズタウン植民地の建設期にすぐれた指導力を発揮。自伝によれば1度アメリカインディアンに捕われたが,J.ロルフと結婚した族長の娘ポカホンタスの願いで助命になったという。チェサピーク湾一帯を探検したのち,09年イギリスに帰国。 14年にはニューイングランドを探検し,毛皮などの貴重品を本国に持帰り,ニューイングランドへの植民を促進した。その後新世界に関する著作に専念著書"A Description of New England" (1616) ,"The True Travels,Adventures,and Observations of Captaine John Smith in Europe,Asia,Africa and America" (30) 。

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スミス
Smith, John Raphael
[生]1752. ダービー
[没]1812.3.2. ウォーチェスター
イギリスの画家,版画家。画家トマス・スミスの息子。ロンドンでメゾチント銅版法を学び,その分野第一人者となる。約 300点の彼の肖像版画が現存し,ロンドンの国立肖像画美術館には,パステルの自画像をはじめ,多くの彼の作品が収蔵されている。

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Smith, Joseph
[生]1805.12.23. バーモント,シェアロン
[没]1844.6.27. イリノイ,カーセッジ
アメリカのモルモン教。自伝的著作 The Book of Mormon (1830) の出版直後,1830年4月6日古代キリスト教の復活の名のもとに末日聖徒イエス・キリスト教会 Church of Jesus Christ of Latter Day Saintsを結成。宗徒は漸次増加し,のちの遍歴にも彼の個人的魅力と啓示により,よく団結した。教義は,天に複数の神がいること,人の神となれる可能性の認容,ユダヤ教とキリスト教神秘主義の混った「完全な生き方」による永遠の繁栄の獲得などを説く。悪名高き多妻についての啓示は自伝に示されておらず,彼の死後8年目に公表されたが,公式に知られているエンマ・ヘイルほか 50人の妻と結婚していたという証拠がある。反対派に獄中で射殺されたが,彼の死後,モルモン教は多妻に反対する彼の4人の息子の一派と,B.ヤングに率いられグレイトソルトレイクに落ち着く一派とに分裂する。著書『キリスト教会の統制のための掟』A Book of Commandments for the Government of the Church of Christ (33) ,『末日聖徒教会の教義と聖約』 Doctrine and Covenants of the Church Latter Day Saints (35) がある。

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スミス
Smith, Logan Pearsall
[生]1865.10.18. ニュージャージー,ミルビル
[没]1946.3.2. ロンドン
アメリカ生れのイギリスの評論家,随筆家,英語学者。 1913年イギリスに帰化。簡潔な文章に警句ユーモア,深い英知をこめた彼の随は高く評価され,『随想集』 Trivia (1902) ,『続随想集』 More Trivia (21) などにまとめられた。また英語学者として「純粋英語協会」 Society for Pure Englishを創設したほか,ミルトン,シェークスピアについての論文もある。ほかに自叙伝『忘れえぬ歳月』 The Unforgotten Years (38) がある。

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スミス
Smith, Oliver
[生]1918.2.13. アメリカ,ウィスコンシン,ウォーパン
[没]1994.1.23. アメリカ,ニューヨーク,ブルックリンハイツ
アメリカの舞台装置家。 1939年ペンシルバニア州立大学を卒業。 41年よりバレエや演劇,オペラなどの舞台装置を手がけ,『マイ・フェア・レディ』 (1956) ,『ウエスト・サイド物語』 (57) ,『サウンド・オブ・ミュージック』 (59) などのミュージカル装置トニー賞を7回受賞した。また 45~80年,90~92年に現在のアメリカン・バレエ・シアター監督をつとめその名を世に知らしめたことでも有名である。

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Smith, Seba
[生]1792.9.14. メーン,バックフィールド
[没]1868.7.28. ニューヨーク,パチョーグ
アメリカのジャーナリスト,風刺作家,編集者。典型的ヤンキー,ダウニング少佐の筆になると称する一連のユーモラスな時事風刺的手紙で人気を博した。代表作は『ダウニングビルのジャック・ダウニング少佐の生活と著作』 The Life and Writings of Major Jack Downing of Downingville (1833) 。

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Smith, Sydney
[生]1771.6.3. エセックス,ウッドフォード
[没]1845.2.22. ロンドン
イギリスの著述家,聖職者。 1802年に雑誌『エディンバラ・レビュー創刊参画,同誌上に健筆をふるう。主著はカトリック解放を弁護した『ピーター・プリムリー書簡』 Letters of Peter Plymley (1807) 。

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Smith, Theobald
[生]1859.7.31. ニューヨーク,オールバニ
[没]1934.12.10. ニューヨーク
アメリカの病理学者。感染症や寄生虫症の原因や免疫の研究で知られている。 1896年ハーバード大学教授,1915年ロックフェラー医学研究所動物病理学部長。 1884年に D.サルモンと協力して,死滅ウイルスは生存ウイルスに対する免疫を与えうることを証明した。 85年にはブタコレラ病原体のサルモネラを,89年にはテキサス家畜熱の病原体を,93年にはウマの伝染性流産の病原体を,95年には七面鳥の黒頭病の病原体をそれぞれ発見した。 98年結核菌のヒト型とウシ型を識別。また,ジフテリア菌の抽出物を注射すると動物に激しい抗体反応が起ることを指摘した。 P.エールリヒはこれを「スミス現象」と呼んだが,のちに C.リシェによって,アナフィラキシーと名づけられた。

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Smith, Vincent Arthur
[生]1848
[没]1920
イギリスのインド学者。インド史の専門家。『インド古代史』 The Early History of India (1904) などの著書がある。

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Smith, W. Eugene
[生]1918.12.20. カンザスウィチタ
[没]1978.10.15. アリゾナ,トゥーソン
アメリカ合衆国の写真家。フルネーム William Eugene Smith。14歳から写真を始め,『ニューズウィーク』誌のカメラマンを振り出しに,19歳で『ライフ』誌のスタッフとなった。1942年から『ライフ』の従軍写真家として太平洋戦争を取材,1945年5月沖縄戦線を取材中,重傷を負った。1948年フォト・エッセー『田舎の医者』,1951年同『スペインの村』を『ライフ』に発表,報道写真家として国際的に著名となる。1955年『ライフ』を退きフリーランスとなった。1961年以来数度訪日,水俣病を取材した作品を発表した。

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Smith, William
[生]1769.3.23. チャーチル
[没]1839.8.28. ノーサンプトン
イギリスの地質学者。初等教育を受けただけであったが,測量助手,のちに技師となり,サマセットの石炭輸送運河工事などに従事。この間独学で地層地質を観察研究し,また特定の地層には特定化石が出ることも発見した。1799年バス近傍の地層層序と化石についての一覧表を発表。1815年にはイングランド,ウェールズ地質図(15シート)を発表。ニコラウス・ステノ地層累重の法則を実証するとともに,化石による地層同定法を確立し,地質学の基礎になる層位学の父と呼ばれる。1831年にはロンドン地質学協会から初のウォラストン・メダル受賞。主著『化石による地層の同定』(1816~19)。

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Smith, William Robertson
[生]1846.11.8. アバディーン近郊キー
[没]1894.3.31. ケンブリッジ
イギリス,スコットランドの自由教会派牧師。セム学者,旧約聖書学者,百科事典編集者。旧約聖書の高等批評,聖書問題,ヘブライ語とその文学などについて『ブリタニカ百科事典』に数次寄稿,名声を博したが,その学説のため教会から聖務停止の処分を受けた。1881年6月から『ブリタニカ百科事典』編集者,次いで編集長を務める。主著『ユダヤ教会における旧約聖書』The Old Testament in the Jewish Church(1881),『イスラエルの預言者』The Prophets of Israel(1882),『古代アラビアにおける血縁と結婚』Kinship and Marriage in Early Arabia(1885),『セム族宗教』Lectures on the Religion of the Semites(1889)。

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Smith, Dame Maggie
[生]1934.12.28. イルフォード
イギリスの舞台・映画女優。本名 Margaret Natalie Smith。オックスフォード・プレーハウスの演劇学校で演技を学び,1952年からオックスフォード,1955年からロンドンでレビューに出演。1956年ブロードウェーのレビューに出演して注目され,ロンドンのレビュー "Share My Lettuce"(1957~58)の主役に抜擢された。1958年 "Nowhere to Go"で映画デビュー。その後ロンドンのオールド・ビック劇場の常連キャストを経て,1963年ナショナル・シアターに加入した。1964年の舞台『オセロ』Othelloでローレンス・オリビエ演じるオセロの妻デズデモーナに扮し,1965年に映画化されたときにも同じ役を演じた。『ミス・ブロディの青春』The Prime of Miss Jean Brodie(1969)でアカデミー賞主演女優賞に輝き,国際的名声を獲得。1970年代に入るとナショナル・シアターを退団。その後はおもに映画界で活躍を続け,『カリフォルニア・スイート』California Suite(1978)でアカデミー賞助演女優賞を受賞した。1990年デイムの称号を授与された。

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Smith, Jimmy
[生]1928.12.8. ペンシルバニア,ノリスタウン
[没]2005.2.8. アリゾナ,スコッツデール
アメリカ合衆国のミュージシャン。本名 James Oscar Smith。ソウル・ジャズ・スタイルを確立し,電子オルガンをジャズの主要楽器の一つにした。独自の演奏スタイルで軽やかに旋律を弾いた。両親にピアノを教わり,1948~50年フィラデルフィアの音楽学校で学び,その後ドン・ガードナーのリズム・アンド・ブルースのグループに加わった。オルガニストのワイルド・B.デービスに触発されてハモンド・オルガンを習い,1955年にトリオを結成して人気を博した。一連のヒット・アルバムによってレコード会社のブルー・ノートを大手ジャズ・レーベルへと押し上げた。代表曲は,オリバー・ネルソンのビッグ・バンドと共演したアルバム『バッシン』Bashin'(1962)の収録曲『ウォーク・オン・ザ・ワイルド・サイド』。ギタリストウェス・モンゴメリーともアルバムで共演した。

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Smith, George E.
[生]1930.5.10. ニューヨーク,ホワイトプレーンズ
アメリカ合衆国の物理学者。フルネーム George Elwood Smith。ペンシルバニア大学を卒業後,1959年にシカゴ大学で物理学の博士号を取得した。同 1959年,ベル研究所に入り 1986年まで勤めた。2009年,光デジタル技術にかかわる重要な技術を開発した功績により,チャールズ・カオならびにウィラード・ボイルとともにノーベル物理学賞を受賞した。スミスとボイルは,ベル研究所でデジタルカメラの心臓部である電荷結合素子 CCDイメージセンサを開発したことが高く評価された。

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Smith, Hamilton Othanel
[生]1931.8.23. ニューヨーク
アメリカの微生物学者。 1952年にカリフォルニア大学バークリー校卒業後,ジョンズ・ホプキンズ大学で学び,56年医学部の学位を取得。 62年ミシガン大学微生物遺伝学研究員,64年研究助教授となる。 67年ジョンズ・ホプキンズ大学医学部助教授,73年教授に就任。 1967年以降 P22ファージウイルスから DNAを取出すためヘモフィルス・インフルエンザ菌の研究を始め,70年 Hind2と呼ばれる2型制限酵素を発見した。これは DNAを特定の場所で切断する能力をもった制限酵素で,分子遺伝学の研究手段として非常に有用なものであった。さらには細菌から制限酵素を抽出・精製する方法も確立し,78年 W.アルバー,D.ネイサンズとノーベル生理学・医学賞を共同受賞。

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スミス
Smith, Michael
[生]1932.4.26. イギリス,ブラックプール
[没]2000.10.4. カナダ,バンクーバー
イギリス生れのカナダの生化学者。 1956年マンチェスター大学で博士号を取得。 64年カナダの市民権を取得。アメリカとカナダで多くの職についたのち,66年ブリティシュコロンビア大学準教授,87年バイオテクノロジー研究所部長に就任。 1970年代初めに,遺伝暗号を変えたデオキシリボ核酸 DNAの小断片を用いて新たな性質をもつ蛋白質を合成する「サイトディレクティッド・ミュータジェネシス」という手法に着目し,その後数年かけて細かいプロセスを開発した。この技術により蛋白質の構造や機能とアミノ酸が果す役割についての情報が得られることになり,多くの病気に治療法をもたらすほか,農業や工業の分野にも幅広く応用されるようになった。 93年 K.B.マリスとともにノーベル化学賞を受賞。

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スミス
Smith,Vernon L.
[生]1927.1.1. カンザス,ウィチタ
アメリカの経済学者。 1949年,カリフォルニア工科大学を卒業後経済学に転向し,51年カンザス大学で修士,55年ハーバード大学で博士号を取得。 55年からインディアナ州パーデュー大学ロードアイランド州のブラウン大学,マサチューセッツ大学,カリフォルニア工科大学などで教鞭をとりながら研究を続けた。 88年アリゾナ大学の経済学名誉教授,2001年ジョージメイソン大学の経済学および法学教授に就任。アメリカ,オーストラリアニュージーランドにおけるエネルギーの規制緩和に関する研究が主で,資本理論ファイナンスから天然資源経済学や実験経済学にいたる幅広いテーマの著書がある。 2002年,市場メカニズム研究において経験的経済を分析するための実験的な手法を確立し,実験経済学という新しい分野を開拓した功績によりノーベル経済学賞を受賞した。

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スミス
Smith, George P.
[生]1941.3.10. コネティカット,ノーウォーク
アメリカ合衆国の生化学者。1970年にハーバード大学で博士号を取得。ウィスコンシン大学に勤めたのち,1975年からミズーリ大学に勤務し,1990年に同教授,2015年名誉教授。1985年,細菌に感染するウイルスバクテリオファージ(ファージ)」を使って,多くの突然変異遺伝子のなかから目的に応じた機能をもつ蛋白質をつくるものを効率的に選ぶ「ファージディスプレイ法」を開発した。ファージは細菌内に自分の遺伝子を注入し,その細菌のシステムを乗っ取って新しいファージの外殻をつくる。ファージの遺伝子の中に調べたい蛋白質の遺伝子を混ぜておくと,それがつくった蛋白質はファージの殻に出現する。スミスは出現させた目的の蛋白質を特異的な抗体でとらえるという方法を開発し,目的に合った遺伝子を従来の方法よりも高効率に選びとることができるようになった。2018年,生物進化の過程を模倣して蛋白質の機能を改良する「分子進化工学」を切り開いた功績により,アメリカの化学工学者フランシス・アーノルド,イギリスの生化学者グレゴリー・P.ウィンターとともにノーベル化学賞(→ノーベル賞)を受賞した。

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デジタル大辞泉

スミス(Adam Smith)
[1723~1790]英国の経済学者。古典派経済学の創始者。スコットランドの生まれ。主著「国富論」は経済学を初めて科学的に体系づけた大著で、重商主義を批判して自由放任主義の経済を説き、経済学の原典となった。

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スミス(Henry John Smith)
[1826~1883]英国の数学者整数論・近世幾何学の研究に貢献

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スミス(William Robertson Smith)
[1846~1894]英国の聖書学者。聖・俗の観念を社会的立場から考察し、宗教の比較研究法を開拓。著「セム族の宗教」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

スミス Smith, Robert Henry
1852-1916 イギリスの工学者。
明治7年(1874)来日開成学校,後身の東京大学で機械工学,土木工学をおしえた。満期前の11年帰国。バーミンガム大名誉教授。1916年2月18日死去。64歳。エジンバラ大卒。

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スミス Smith, Roy
1878-1969 アメリカの教育家。
明治36年(1903)来日。大倉高商などで英語をおしえ,いったん帰国。42年再来日し,神戸高商で商業学,外国貿易実務を講義した。第二次大戦中は一時帰国したが,半世紀にわたり日本の教育につくした。昭和43年帰国。1969年6月死去。91歳。イリノイ州出身。イリノイ州立大卒。

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スミス Smith, Sarah Clara
1851-1947 アメリカの宣教師,教育者。
1851年3月24日生まれ。明治13年(1880)来日。東京,函館でおしえ,19年北海道師範の英語教師となる。かたわら官舎内に女子寄宿学校をひらく。27年校名を北星女学校(現北星学園)とし,女子教育につとめた。昭和6年帰国。1947年2月18日死去。95歳。ニューヨーク州出身。
【格言など】過去を忘れ,将来を望みつつ,現在を努力せよ(信条)

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スミス Smith, William Eugene
1918-1978 アメリカの写真家。
1918年12月30日生まれ。第二次大戦では従軍カメラマンとして沖縄戦などを取材。戦後「ライフ」誌を中心にドキュメントを発表。昭和46年より3年間日本に滞在し,公害でくるしむ水俣(みなまた)病の患者を撮影した。1978年10月15日死去。59歳。カンザス州出身。作品に「スペインの村」「MINAMATA」など。

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スミス Smith, Erasmus Peshine
1814-1882 アメリカの法律家。
1814年3月2日生まれ。日本外務省の最初の国際法顧問として明治4年(1871)来日。5年のマリア-ルス号事件にかかわる日本はじめての国際裁判では,外務省を指導し,事件を解決にみちびいた。9年帰国。1882年10月21日死去。68歳。ニューヨーク市出身。ハーバード法律学校卒。

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世界大百科事典 第2版

スミス【Adam Smith】
1723‐90
イギリスの道徳哲学者,経済学者。主著《国富論》はあまりに有名。スミスというがイギリスではひじょうに多いので,アダム・スミスと姓・名をあわせて呼ぶのがふつうである。D.リカードとともに古典派経済学を代表し,他方では,その経済学と道徳哲学moral philosophyとの結合によって,不可侵の自己保存権(自然権)をもつ近代的個人の,自愛心=利己心に基づく活動が,平和的に共存して社会を構成し維持できることを明らかにした点で,スコットランド啓蒙思想のなかで特異な位置を占める。

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スミス【Alfred Emanuel Smith】
1873‐1944
アメリカの政治家。アイルランド系カトリック教徒移民の子として,ニューヨーク市のスラム街に生まれた。1903年ニューヨーク州下院議員に当選,アイルランド系票を背景に政界に着実な地歩を占め,18年には州知事に当選,行政改革,社会福祉で実績をあげ,名知事として4期務める。その間24年民主党全国大会では指名を逸したが,28年には指名され,アメリカ史上最初のカトリック教徒の大統領候補となった。好況のゆえもあって現職のH.C.フーバーに敗れたが,北部の大都市票を獲得した。

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スミス【Eugene Smith】
1918‐78
アメリカの写真家。カンザス州のウィチタ生れ。18歳で《ニューズ・ウィーク》,19歳で《ライフ》のスタッフとなったスミスは,以後一貫してフォト・ジャーナリズム(グラフ・ジャーナリズム)の世界を歩んだ。彼の求道的・理想主義的なヒューマニズムグラフ雑誌編集者との衝突も生んだが,数々の人間愛に満ちた傑作を生みだした。〈カントリードクター〉(1948),〈スペインの村〉(1950),〈慈悲の人シュワイツァー〉(1954)など《ライフ》誌に発表された写真は,単にルポルタージュとして優れているだけでなく,写真芸術としての完璧さを備えている。

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スミス【Francis Pettit Smith】
1808‐74
イギリスの発明家。1836年,二つのねじ山をもった木ねじ型のスクリュープロペラで特許を得,同年,10トンの汽船フランシス・スミス号を造り,この木製のねじ型スクリューを装着し,ロンドンの運河で実験した。実験中,ねじ山の一つが折れたが,これによりかえって船速を増したことにヒントを得て,二枚翼のスクリューを考案した。39年には直径1.75mの二枚翼スクリューを装備した長さ32.3m,総トン数約240トンのアルキメデス号Archimedesを建造,同船は,イギリス一周の試験航海でスクリューの優秀性を実証し,当時,ブリストルの造船所で鉄製汽船グレート・ブリテン号を建造中であったI.K.ブルネルは,予定していた外輪をやめスクリューを採用したほどであった。

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スミス【William Smith】
1769‐1839
イギリスの地質学者。オックスフォードシャーの鍛冶屋に生まれ,若いころ,当時盛んであった運河工事を手伝ううち,測量技師となり,終生,土木技師civil engineerを名のった。工事のかたわら,地層の特徴に注目,地層の重なり,連続の規則性に気づき,地質図にまとめ,1815年に大きな《イングランド,ウェールズ,およびスコットランドの一部の地質図》を出版した。また特定の地層には特定の化石を産することに着目,1816年から地層ごとの化石図鑑《化石によって同定される地層》を出版しはじめたが,財政難で中断。

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スミス【John Smith】
1579か80‐1631
イギリスの軍人,探検家,著作家。軍人としてヨーロッパ大陸でトルコ軍と戦って捕らえられるが,脱走して1604年ころ帰国。07年ロンドン・バージニア会社の植民者をつれて北アメリカのジェームズタウンに上陸し,バージニア植民地を建設した。インディアンに捕らえられ,長の娘ポカホンタスの助命で助かったり,現地経営の内紛死刑となる寸前に新移住者をつれてきたC.ニューポート船長に助けられるなどの苦労ののち,08年総督に選ばれ,09年帰国。

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スミス【John Smyth(Smith)】
1570ころ‐1612
イギリス,ピューリタン運動の一支流をなしたバプティスト派の創始者。ケンブリッジ大学に在学中,同大学に盛んであったピューリタニズムにふれて回心した。卒業後しばらく英国国教会の牧師をつとめたが,のち分離派(セパラティスト)の群れに加わってその指導者となった。1607年の末,迫害を避けてアムステルダムへ脱出,そこでメノー派の影響を受けた。11年,亡命以来の同志T.ヘルウィズとJ.マートンはイギリスに帰って,最初のイギリス・バプティスト教会をつくった。

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スミス【Joseph Smith】
1805‐44
モルモン教(正称は末日聖徒イエス・キリスト教会)の開祖。1820年以後啓示を受け,これを《モルモン経Book of Mormon》として出版,同時に教会を組織した(1830)。モルモン教では《モルモン経》を聖書と並ぶ教典とみなす点で,正統的なキリスト教と区別され,そのほか異言や神癒を信ずる。教会は急速に発展したが,その特異な教義と慣習のゆえに反感を買い,スミスは暴徒に襲われて死んだ。しかし,教会は後継者B.ヤングの指導により大いに成長,ソルト・レーク・シティを建設しユタ州設立に及んだ。

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大辞林 第三版

スミス【Smith】
Adam S. 1723~1790 イギリスの経済学者。古典派経済学の祖。その著「道徳情操論」で経済人の利己的な行為が「神の見えざる手」に導かれて自ら企図せざる結果を生むとした。また「国富論」で富の本質は日常的消費物資にあり、その源泉は労働にあるとして、それを保証する近代的所有権の確立が必要であることを主張、産業革命の理論的基礎を与えた。
Bessie S. 1894~1937 アメリカの黒人女性ブルースボーカリスト。1920年代、ブルースの草創期に活躍、「ブルースの皇后」と呼ばれた。
David S. 1906~1965 アメリカの彫刻家。幾何学的な形態を組み合わせた金属彫刻で知られる。
Edward Elmer S. 1890~1965 アメリカの SF 作家。スペースオペラの代表的作品「スカイラーク」「レンズマン」のシリーズで知られる。
Eugene S. 1918~1978 アメリカの写真家。すぐれたヒューマンドキュメントを「ライフ」誌などに発表。作品に「田舎医者」「シュバイツァー」「スペインの村」「水俣」など。
William S. 1769~1839 イギリスの地質学者。出土する化石によって地層が特定できることを発見。イギリス各地の地質図を作製。イギリス地質学の祖といわれる。

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367日誕生日大事典

スミス
生年月日:1808年2月9日
イギリスの発明家
1874年

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スミス
生年月日:1840年3月26日
イギリスのアッシリア研究家
1876年没

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スミス
生年月日:1914年5月4日
アメリカの外交官
1994年没

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スミス
生年月日:1897年12月14日
アメリカの政治家
1995年没

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精選版 日本国語大辞典

スミス
[一] (Adam Smith アダム━) イギリスの経済学者、倫理学者。古典派経済学の祖。グラスゴー大学教授・総長。重商主義的保護政策を批判し、自由放任主義の立場にたつ自由主義的経済学を主張し、国富の源泉を労働一般に求め、産業革命の理論的基礎づけを行なった。「国富論」は経済学を初めて科学的に体系づけた古典。ほかに「道徳感情論」などがある。(一七二三‐九〇
[二] (William Smith ウィリアム━) イギリスの地質学者、古生物学者。イギリス地質学、層序学の開拓者。一八一五年に「英国地層図」、一六年に「化石と地層」を発表した。(一七六九‐一八三九
[三] (William Robertson Smith ウィリアム=ロバートソン━) イギリスの神学者、宗教学者。「旧約聖書」を比較宗教学的に研究。主著に「セム人の宗教」「ユダヤ教会における旧約聖書」など。(一八四六‐九四
[四] (Theobald Smith シアボールド━) アメリカの病理学者。ハーバード大学教授。伝染病、寄生虫病における比較病理学、血清学の先駆者。多くの動物の伝染病の病原体およびその媒体を発見した。主著「寄生と疾患」。(一八五九‐一九三四
[五] (Henry John Stephen Smith ヘンリー=ジョン=スティーブン━) イギリスの数学者。オックスフォード大学教授。初め幾何学にとりくんでいたが、後、数論を専門に研究。一八五九~六五年「数論に関する研究報告書」にその研究成果が発表された。(一八二六‐八三

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化学辞典 第2版

スミス
スミス
Smith, Michael

イギリス生まれのカナダの生化学者.1956年マンチェスター大学で博士号を取得した後,バンクーバーのH.G. Khorana(コラーナ)研究室に入り核酸化学を学んだ.1961年カナダ漁業局に移り海洋生物学を研究し,1966年以降はブリティッシュ・コロンビア大学生化学部に所属(~1997年).1998年ブリティッシュ・コロンビアがん局ゲノム配列センター所長となる.1980年代初頭,合成オリゴヌクレオチドを用いて部位特異的な突然変異を導入する方法を開発し,タンパク質の機能の正確かつ簡便な研究が可能になった.この業績で,1993年PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法を開発したK. Mullis(マリス)とともにノーベル化学賞を受賞した.

出典:森北出版「化学辞典(第2版)」
東京工業大学名誉教授理博 吉村 壽次(編集代表)
信州大学元教授理博 梅本 喜三郎(編集)
東京大学名誉教授理博 大内 昭(編集)
東京大学名誉教授工博 奥居 徳昌(編集)
東京工業大学名誉教授理博 海津 洋行(編集)
東京工業大学元教授学術博 梶 雅範(編集)
東京大学名誉教授理博 小林 啓二(編集)
東京工業大学名誉教授 工博佐藤 伸(編集)
東京大学名誉教授理博 西川 勝(編集)
東京大学名誉教授理博 野村 祐次郎(編集)
東京工業大学名誉教授理博 橋本 弘信(編集)
東京工業大学教授理博 広瀬 茂久(編集)
東京工業大学名誉教授工博 丸山 俊夫(編集)
東京工業大学名誉教授工博 八嶋 建明(編集)
東京工業大学名誉教授理博 脇原 將孝(編集)

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旺文社世界史事典 三訂版

スミス

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小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
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