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ソビエト制【そびえとせい】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ソビエト制
そびえとせい
совет/sovet

ソビエトはロシア語では元来、評議会を意味する。政治組織としてのソビエトは、1905~07年の第一次ロシア革命期に労働者のストライキを指導する選挙制の機関(労働者代表ソビエト、全権代表ソビエトなど)として生まれて、地方自治機関、ところによっては武装蜂起(ほうき)指導機関へと発展したが、第一次革命の終息とともに消滅した。この経験が1917年の二月革命および十月革命のときによみがえり、同年3月の段階では全国で2000近いソビエト(都市では労働者・兵士代表ソビエト、農村では農民代表ソビエト、前線では兵士委員会)が形成され、なかでもペトログラード労働者・兵士代表ソビエトは事実上、全ロシア・ソビエトの役割を果たすようになった。二月革命においてツァー権力が打倒され、権力はブルジョア臨時政府とソビエトとに移行した(いわゆる二重権力)が、ソビエト内部においては当初、ソビエトを憲法制定議会を招集するまでの臨時的組織とみなすメンシェビキとSR(エスエル)(社会革命党)が多数を占め、「全権力をソビエトへ」のスローガンを掲げソビエト共和国の樹立を目ざすボリシェビキは少数派にとどまっていた。

 1917年9月以降、コルニーロフ反乱との闘争の過程で各地のソビエトは革命化し、ボリシェビキが急速に多数を占めるようになり、ここでボリシェビキ化したソビエトがやがて10月に武装蜂起によってケレンスキーを首班とする臨時政府を倒し、全権力を掌握することになった。十月革命後、全ロシア労働者・兵士代表ソビエトは全ロシア農民代表ソビエトと合流し、18年1月、普通選挙により招集された憲法制定議会を解散せしめることにより、名実とも最終的に公権力の担い手となった。

 1918年7月制定のロシア共和国憲法第1条は、「ロシアは労働者・兵士・農民代表諸ソビエトの共和国と宣言される。全権力は中央においても地方においてもこれらのソビエトに属する」とうたっている。1977年憲法第2条は「人民は、ソ連邦の政治的基礎をなす人民代表諸ソビエトを通じて、国家権力を行使する」と規定するが、ソビエト社会主義共和国連邦という国名も、かかる政治権力機関としてのソビエトの性格を表現するものとなっている。ソビエト制は、本来ブルジョアジーを排除した公然たる階級的組織がそのまま公権力の担い手となることを特徴とし、1918年のハンガリーおよびドイツのソビエト(レーテ)共和国、1930年代前半の中国解放区における中華ソビエト共和国にもその経験が拡大されたが、第二次大戦後に成立した社会主義諸国は、ソビエト制とは異なり、普通選挙に基づく人民民主主義制をとった。

[大江泰一郎]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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