●タスマン
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
タスマン
Tasman, Abel Janszoon
[没]1659.10.22以前./1661.2.5以前.ジャカルタ
オランダの航海家,探検家。オランダ東インド会社に勤務して,17世紀の前半にインド洋と南太平洋の諸地域を航海し,タスマニア島 (1642) ,ニュージーランド (42) ,トンガ諸島 (43) ,フィジー諸島 (43) その他南太平洋上の多くの島に到達した。オーストラリア大陸と南極大陸が陸続きではないことを確認した (43) 。しかし貿易利潤を主として追求した東インド会社は彼の業績をあまり評価せず,不遇のまま死去した。
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デジタル大辞泉
タスマン(Abel Janszoon Tasman)
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世界大百科事典 第2版
タスマン【Abel Janszoon Tasman】
オランダの航海者。17世紀最大の探検航海者と評される。東インド会社に入って1633年にバタビア(現,ジャカルタ)に赴いてから,太平洋の航海を数回実施した。そのうちでも名高いのは,42年から43年にかけてヘームスケルク号とゼーハーン号を率いての航海である。東インド総督ファン・ディーメンに新交易地開拓と南アメリカへの安全迅速な航路発見を命じられたタスマンは,1642年にバタビアを出帆,オーストラリア南岸を東航してタスマニア島を〈発見〉し,ファン・ディーメンス・ラントと命名した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
タスマン
たすまん
Abel Janszoon Tasman
(1603―1659)
オランダの航海者、探検家。オランダ東インド会社の船長として勤務し、1642~43年探検のためバタビア(ジャカルタ)を出発し、オーストラリア南東方で現タスマニア島を「発見」し、当時の東インド総督の名にちなんでファン・ディーメンスラントと命名。そののち東航してニュージーランドの西部に達し、この地をスターテンラントと命名、さらに北上してトンガ、フィジー、ビスマーク諸島などを発見し、ニューギニア北岸を通過してバタビアへ帰還した。44年、前回探検した地域を調査するため再度探検を行った。48年、フィリピン、タイへの航海後、船員たちの不満を買い、会社を解雇されたのち、裕福な商人としてバタビアで生活し、同地で没した。
[栗原福也]
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精選版 日本国語大辞典
タスマン
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旺文社世界史事典 三訂版
タスマン
Abel Janszoon Tasman
オランダの探検航海家
1639年太平洋にある金銀島の探検航海を試み,42年タスマニア・ニュージーランド・フィジー諸島などを発見した。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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