●ターナー
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ターナー
Tourneur, Cyril
[没]1626.2.28. アイルランド,キンセール
イギリスの劇作家。伝記不詳。生涯の大半を軍人として過し,外交使節としてネーデルラントに渡ったこともあるらしいが,1625年 E.セシルに従ってスペインのカディス遠征に加わり,病を得て帰途死亡。文筆に打込んだ6年間には風刺詩や哀歌などの詩作もあるが,特にシェークスピア時代に続くジェームズ朝の退廃的な作風を代表する2編の恐怖悲劇『復讐者の悲劇』 The Revenger's Tragedy (1607刊) と『無神論者の悲劇』 The Atheist's Tragedy (11刊) で知られる。ただし前者は J.ウェブスターや T.ミドルトンの作とする学者もある。
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ターナー
Turner, Frederick Jackson
[没]1932.3.14. カリフォルニア,サンマリノ
アメリカの歴史家。ウィスコンシン大学 (1889~1910) とハーバード大学 (10~24) でアメリカ史を教えた。 1893年『アメリカ史におけるフロンティアの意義』 The Significance of the Frontier in American Historyと題する論文を発表し,アメリカの諸制度がゲルマンに起源をもつとする支配的な学説を批判し,フロンティアの存在こそがアメリカ人の国民性の形成や民主制の発展に寄与したとした。また,『アメリカ史におけるセクションの意義』 Significance of Sections in American History (32) では,北部,南部,西部の地域的特性を強調した。いずれもおりからのナショナリズムの風潮を反映するもので,アメリカ史の解釈に大きな影響を与えた。著書"The Frontier in American History" (20) 。
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ターナー
Turner, Joseph Mallord William
[没]1851.12.19. ロンドン
19世紀イギリスで最も偉大な風景画家。理髪師の子に生まれ,ロイヤル・アカデミーに学び,27歳でアカデミーの正会員となった。同年初めてフランスに旅行,N.プーサンや C.ロランの強い影響を受ける。 1819年から3度イタリアに旅行。初期の忠実な描写は,これらの旅行を通ししだいにロマン主義的なものに移り変わり,空と水と光の描写に集中,自由で幻想的な独自の風景画を創造した。名作『チャイルド・ハロルドの巡礼』 (1832) ,『戦艦テメレール』 (1839) ,『雨,蒸気,速度』 (1844) は光と大気の完全な調和を示す。彼の色彩画法はその後モネをはじめ印象派 (→印象主義 ) の画家たちに大きな影響を与えた。孤独を愛したため,チェルシー地区の下宿屋に変名で隠遁生活を送り,知る人もなく世を去った。
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ターナー
Turner, Nat
[没]1831.11.11. バージニア,エルサレム
アメリカの黒人奴隷。奴隷暴動の指導者。信仰心の厚かった彼は,2番目の主人に売られた頃から自分を黒人解放の使徒と考えるようになり,近傍の黒人に対して大きな影響力をもち,「予言者」と呼ばれた。 1831年8月 21日夜,バージニア州南東部のサザンプトンでほかの奴隷7人とともに暴動を起し,3番目の主人一家を殺害,その後2日間で白人 51人を殺したが,1人の奴隷も所有しない家庭は襲撃対象から除外された。しかし,従う者 75人にすぎず,白人の武力抵抗と 3000人の民兵の出現で暴動は崩壊,絞首刑となった。この奴隷自身による解放闘争は南部一帯の奴隷所有者を恐慌状態に陥れ,その後奴隷弾圧が一層強化された。
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ターナー
Turner, John Napier
カナダの政治家,法律家。首相(在任 1984.6.~9.)。1932年家族とともにイギリスからカナダに移り,オタワで初等教育を受けた。1949年ブリティシュコロンビア大学で政治学の学士号を取得後,1年間フランスのパリに留学。その後ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学で学び,1952年法学学士号,1957年修士号を取得。帰国後さまざまな企業で働き,1962年の選挙に自由党から立候補して初当選。1965年に初入閣し,1968年に自由党党首選挙でピエール・エリオット・トルドーに敗れた。トルドー政権で司法大臣を経て財務大臣を務めていたが 1975年9月に突然辞任,翌 1976年2月には議員の職も辞した。会社法の研究に戻り,その後 8年間いくつかの企業の重役を務める一方で政界との緊密な関係を保持した。1984年トルドー首相の政界引退表明をうけ,後継党首に選ばれ首相に就任したが,その直後の選挙で進歩保守党に敗北を喫した。首相在位期間は 3ヵ月にも満たず,短命政権に終わった。1988年の選挙で再び保守党に敗れると,翌 1989年に自由党党首を辞任した。
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ターナー
Turner, Victor Witter
[没]1983
イギリスの人類学者。マンチェスター大学で M.グラックマンに師事し,アフリカ研究に従事。母校で教えたのち,渡米してコーネル大学,シカゴ大学,バージニア大学で研究・教授職を歴任。ザンビアのンデンブ族社会などにおける儀礼の象徴人類学的研究を行うなかで,A.ファン・ヘネップの通過儀礼論を発展させ,儀礼を社会構造転換のプロセスとして象徴的かつダイナミックに理解する視点を提示した。主著『儀礼の過程』 The Ritual Process: Structure and Anti-structure (1969) ,『象徴と社会』 Dramas,Fields,and Metaphors (74) 。
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ターナー
Turner,Ted
アメリカのニュース専門テレビ局CNN創設者。ブラウン大学を校則違反で中退後,父親の経営する看板広告会社ターナー広告社に入社。 24歳のときに父親が死亡し事業を継承。 1970年経営難に陥っていたアトランタの UHFテレビ局を買収してテレビ業界に参入した。 1976年ターナー・ブロードキャスティング・システム TBSを設立。番組を通信衛星経由で全米のケーブルテレビ CATV局に広域配信することで,収益の急拡大に成功した。 1980年6月,ニュース専門のケーブルテレビ,CNNを設立し,メディア界の風雲児として注目を集めた。 1989年の天安門事件,1991年の湾岸戦争の報道は,CNNの名を一躍世界に知らしめた。 1991年『タイム』誌恒例の「マン・オブ・ジ・イヤー」にも選ばれた。 1996年 10月娯楽・メディア大手タイム・ワーナーの TBS買収 (75億ドル) によりタイム・ワーナーの筆頭株主となり,同社副会長を務めたが,2003年5月辞任した。私生活では,1991年女優ジェーン・フォンダと結婚したものの,2001年離婚。アメリカズカップでの優勝 (1977) 経験をもつヨットマン。 1997年財政難の国際連合に 10年間で総額 10億ドルの寄付を表明した逸話もある。
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デジタル大辞泉
ターナー(Joseph Mallord William Turner)
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ターナー(turner)
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世界大百科事典 第2版
ターナー【Cyril Tourneur】
イギリスの劇作家。初期の晦渋(かいじゆう)な寓意詩《変身の変容》(1606)のほか数編の詩の作者であること,晩年セシル卿のスペイン遠征に参加して途中アイルランドで病死したこと以外,彼の生涯について知られることは少ない。今日確実に彼の作とされる戯曲は《無神論者の悲劇》(1609ごろ初演)の1編のみである。〈正義の士の復讐〉という副題をもつこの悲劇は,無神論者の悪党の企むグロテスクな陰謀を軸に,腐敗した貴族社会の乱倫の図をなまなましくくりひろげる。
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ターナー【Frederic Jackson Turner】
アメリカの歴史家。ウィスコンシン州出身。ウィスコンシン大学(1891‐1910),ハーバード大学(1910‐24)でアメリカ史を教え,1927年から死去までカリフォルニア州のハンティントン・ライブラリーの研究員。1893年《アメリカ史におけるフロンティアの意義》を発表,その後の一連の論文は〈フロンティア学説〉としてまとめられ,アメリカ史の見方を,当時主流を占めていた制度史,憲政史,東部中心のものから,フロンティアおよび西部という環境に重点をおく見方に変えた。
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ターナー【Joseph Mallord William Turner】
イギリスの画家。コンスタブルと並んでイギリス風景画の黄金期を代表し,その作品数,後世への影響の大きさなどから,同国最大の画家といえる。 ロンドンのコベント・ガーデンの理髪師の息子として生まれる。幼時から画才を示し,1789年から4年間ローヤル・アカデミーに学んだ。そのかたわら当時需要のあった地誌的(トポグラフィカル)な銅版画の下絵や彩色に携わり,またカズンズ等の風景素描の模写複製の仕事をし,しだいに風景画家としての道を歩み始める。
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ターナー【Nat Turner】
アメリカ最大の奴隷暴動の指導者。バージニア州サウスハンプトン郡生れの奴隷で,生来豊かな才能に恵まれ,神秘的な傾向が強く,予言者として奴隷たちの信望を集めた。28歳のとき天啓を受けて奴隷に自由を与える使命にめざめ,1831年8月21日,天候の異常現象を神の啓示と感じ,数名の奴隷たちと暴動を起こした。翌日は数十名に膨張し,白人約60人を殺害した。暴動はまもなく軍隊に鎮圧され,ターナーも10月末に捕らえられて11月に処刑されたが,全南部は恐慌状態に陥り,奴隷取締りが厳重になった。
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精選版 日本国語大辞典
ターナー
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食器・調理器具がわかる辞典
「ターナー」の用語解説はコトバンクが提供しています。
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