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チェコ人【チェコじん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

チェコ人
チェコじん
Czech
チェコを構成する西スラブ系民族。チェック人ともいう。人口約 850万。スラブ語西方群に属するチェコ語を話す。もともとエルベ川中流域に居住していた一民族の名にすぎなかったが,10世紀頃プシェミスル王家の行なった諸民族の統一の結果,ボヘミア (チェコ) ,モラビア地方の全スラブ人をチェコ人と呼ぶようになった。人口の半数以上がカトリックであるが,J.フス以来の少数プロテスタント伝統も保持されている。文化的にはドイツ・オーストリアのゲルマン系の要素も強くみられる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)

チェコ人
ちぇこじん
Czech英語
echチェコ語
チェコ共和国の主要民族で、おもにボヘミア、モラビアに住む西スラブ人。人口は約972万人(チェコ全人口の94.4%、2000)を数える。そのほかオーストリア、スロバキア、アメリカにも住む。言語はチェコ語で、大部分がカトリック教徒であるが、プロテスタントも若干いる。
 5~6世紀に西スラブ人が現在のチェコの地域に定住し、10世紀にプシェミスル朝のもとでチェコ人として民族的一体性をもつようになった。13世紀以降、歴代のボヘミア国王によるドイツ人入植奨励政策は、ドイツ人優遇策を伴っていたから、劣勢に立つチェコ人に民族意識を植えつけ、のちのチェコ人とドイツ人の民族的対立の遠因となった。チェコは16世紀前半以降ハプスブルク家の支配下に入るが、カトリック化、中央集権化を促進するハプスブルク家に対し、プロテスタントを選んだチェコ人貴族、都市民が反抗し、1618年にはプファルツ戦争が勃発(ぼっぱつ)した。この戦争の敗北でハプスブルク家からの自立に失敗したチェコ住民は、激しいドイツ化政策のもとでチェコ語やプロテスタント信仰を抑圧され、チェコ人としての民族性を喪失していった。18世紀末からチェコ民族再生運動が起こり、チェコ人としての民族的自覚が教化され、国内のドイツ人との対立を先鋭化させた。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が解体し、チェコスロバキアが建国されると、新国家は、チェコ人とスロバキア人による民族国家であるとの便法でドイツ系住民を圧迫し、それがヒトラー率いるドイツにドイツ人同胞救済の口実を与えた。1939年にチェコスロバキアは解体され、ドイツ帝国の支配を受けるが、逆に第二次世界大戦後再建されたチェコスロバキアから約300万人のドイツ系住民が追放された。そこで再建されたチェコスロバキアのチェコ部分ではチェコ人の占める割合が相対的に多くなった。さらに1993年にスロバキアと分離独立したチェコではチェコ人が圧倒的多数を占めることになった。[稲野 強]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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