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チェンバレン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

チェンバレン
Chamberlain, Sir (Joseph) Austen
[生]1863.10.16. バーミンガム
[没]1937.3.16. ロンドン
イギリスの政治家。ジョーゼフ・チェンバレンの長男。 N.チェンバレンの異母兄。ケンブリッジ大学卒業。 1892年下院に選出される。最初自由統一派に所属,のち保守党に転じ,1900~02年ソールズベリー内閣の大蔵次官をつとめ,02~03年 A.バルフォア内閣で郵政長官。 03~05年蔵相。植民相を辞した父と首相バルフォアをつなぐ役割を果し,野党となったのちは関税改革を支持。 15年5月 H.アスキスの連立内閣組織とともにインド相。 18年4月ロイド・ジョージ内閣の閣僚となり,19年1月から 21年まで蔵相。 21年3月~22年 10月保守党党首。その間アイルランドとの戦争終結のための条約 (1921.12.) に調印。 24年 11月~29年第2次ボールドウィン内閣の外相。 25年 10月ロカルノ条約の締結に尽力,同年 C.ドーズとともにノーベル平和賞を受賞。国際連盟を支持し,26年ドイツの連盟加入の実現に貢献。 31年8月 R.マクドナルド挙国内閣の海相となったが,まもなく辞任

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チェンバレン
Chamberlain, Basil Hall
[生]1850.10.18. ポーツマス
[没]1935.2.15. ジュネーブ
イギリスの日本学者。みずからはチャンブレンと書いた。号は王堂。 1873年来日。 86年帝国大学 (現東京大学) 教師となって博言学 (言語学) を講じ,91年名誉教師。 1911年日本を去りジュネーブ隠棲。日本語を中心に,文学,歴史,神話など多方面にわたる研究を行い,多くの学者を育てた。特に『琉球語文典及び辞書のための試論』 Essay in Aid of a Grammar and Dictionary of the Luchuan Language (1895) は祖語三母音説という大きな誤りをおかしてはいるものの,「日本語」と「琉球語」が同系であることを証明した最初のものとして知られる。ほかに『日本口語文典』A Handbook of Colloquial Japanese (88) などの文法書や『古事記』の英訳 (83) などがある。

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チェンバレン
Chamberlain, Houston Stewart
[生]1855.9.9. サウスシー
[没]1927.1.9. バイロイト
ドイツの政治哲学者。イギリスに生れ,ドレスデンウィーンバイロイトに居住し,1916年ドイツに帰化。アーリア人種またはゲルマン人種の優越性を唱え,他の人種の劣等性を強調。ナチス世界観の基礎,帝国主義的搾取,人種的抑圧などの弁護に利用された。主著『19世紀の基礎』 Die Grundlagen des 19 Jahrhunderts (2巻,1899~1901) ,『アーリア人の世界観』 Arische Weltanschauung (05) 。

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チェンバレン
Chamberlain, John
[生]1927.4.16. インディアナ,ロチェスター
[没]2011.12.21. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の彫刻家。フルネーム John Angus Chamberlain。1951~52年シカゴのアート・インスティテュート,1955~56年ノースカロライナのブラックマウンテン・カレッジに学ぶ。曲がったりつぶれたりした自動車の部品や,そのほかの金属の廃品を素材としたアセンブリッジ彫刻を制作。鮮やかな工業用塗料を塗った作品が多い。その後,金属以外にフォームラバーを多く用い,幻想的な作品を制作するようになった。主要作品『エセックス』(1960) 。

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チェンバレン
Chamberlain, Joseph
[生]1836.7.8. ロンドン
[没]1914.7.2. ロンドン
イギリスの政治家。家業 (靴製造業) につき,父の事務所で働いたのち,ねじ製造会社で事業家として成功。 1869年自由党員としてバーミンガム市会議員となる。 73~76年バーミンガム市長。その間,バーミンガム衛生担当者会議を主宰し,ガス・水道の市営化,スラム街の一掃,公園,無料の図書館,美術館の建設などを実施,都市生活の組織的改善を目指す近代的な運動の先駆者となった。 76年下院議員に選出され,J.ブライトとともに自由党左派に属し同党の再編成に尽力。 80年第2次グラッドストン内閣の商務院総裁。 86年第3次グラッドストン内閣の地方行政院総裁。同年3月アイルランド自治法案の提出に反対して辞職,6月同法案否決に成功。 88年自由統一派を結成。第3次ソールズベリー内閣の植民相。 1902年帝国特恵関税制度確立の必要性を主張。同年南アフリカのトランスバール共和国を訪れボーア人との民族的和解に尽力。 03年植民地,自治領からの穀物輸入の特恵関税をめぐって政府の方針と相いれず辞職。 06年まで全国を遊説し政府の貿易関税政策を攻撃,同年の総選挙で首相 A.バルフォアの率いる統一党を惨敗させ,同党を分裂させた。その後病に倒れ政治活動から退いた。なお,中央政界に入ったのちもバーミンガムの発展に尽力し,バーミンガム大学を創立,1900年同総長に就任した。

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チェンバレン
Chamberlain, (Arthur) Neville
[生]1869.3.18. バーミンガム,エッジバストン
[没]1940.11.9. ハンプシャー,ヘクフィールド
イギリスの政治家。ジョーゼフ・チェンバレンの次男。メーソン・カレッジ (のちのバーミンガム大学) に学び,バーミンガム市で金物製造業者として成功。 1911年市議会議員,15年市長。 18年 50歳で保守党から下院入り,23年以降 S.ボールドウィン内閣と J.マクドナルド内閣の蔵相,保健相を交互につとめた。 37年首相,38年にミュンヘン協定を結び,A.ヒトラーへの宥和政策を実施。 39年ドイツのポーランド侵略に際し対独宣戦布告。 40年ノルウェー遠征に失敗し辞任。枢密院議長となったが,まもなく病気のため辞職した。

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チェンバレン
Chamberlain, Owen
[生]1920.7.10. カリフォルニアサンフランシスコ
[没]2006.2.28. カリフォルニア,バークリー
アメリカ合衆国の物理学者。 1941年ダートマス大学を卒業。 1942年から4年間原子爆弾開発のマンハッタン計画に参加。 1948年シカゴ大学で博士号を取得後,カリフォルニア大学に勤め,1958年同大学教授,1989年名誉教授となる。 1955年エミリオ・G.セグレらとともにベバトロン加速器を用いて反陽子 (反核子 ) を発見し, 1956年反中性子の存在を確認した。その後も高エネルギー物理学の研究を続け,1959年セグレとともにノーベル物理学賞を受賞した。

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チェンバレン
Chamberlain, Wilt
[生]1936.8.21. ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]1999.10.12. カリフォルニア,ロサンゼルス
アメリカ合衆国のバスケットボール選手。フルネーム Wilton Norman Chamberlain。NBA史上最高のオフェンスプレーヤーの一人と評される。フィラデルフィアのオーバーブルック高校で活躍し,100校以上もの大学からスカウトされる。カンザス大学で 2年間プレーしたのち,ショーバスケットボールチームのハーレム・グローブトロッターズに 1年間所属。1959年に NBA入りし,1965年までフィラデルフィア・ウォリアーズ(1962年の移転に伴いサンフランシスコ・ウォリアーズに改称)に在籍,1965~68年フィラデルフィア76ersでプレーしたのち,ロサンゼルス・レイカーズに移籍,1973年選手生活を終えた。生涯の通算得点は 3万1419点。1962年ペンシルバニア州ハーシーでの対ニューヨーク・ニックス戦では 100得点をたたき出し,プロバスケットボール史上最多の 1試合得点をあげた。また,1961―62年シーズンには 4029得点,1試合平均 50.4点をマークし,1シーズンに 4000得点以上をあげた NBA最初の選手となった。NBAの試合で一度も反則退場したことがないという偉業の持ち主。1978年にネイスミス記念バスケットボール殿堂入りを果たした。

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デジタル大辞泉

チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)
[1850~1935]英国の日本学者。号は王堂。明治6年(1873)来日。東京大学で博言学を講じ、日本語・日本文化を研究した。同44年離日。「英訳古事記」「日本近世文語文典」「日本口語文典」など。チャンブレン。

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チェンバレン(Chamberlain)
(Joseph ~)[1836~1914]英国の政治家。1886年自由党を離れ、自由統一党を結成。植民地相となり、帝国主義政策を推進。
(Joseph Austen ~)[1863~1937]英国の政治家。の長男。郵政相・蔵相を歴任。1925年、外相としてロカルノ条約を締結。同年、ノーベル平和賞受賞。国際連盟の支持者。
(Arthur Neville ~)[1869~1940]英国の政治家。の次男。保健相・蔵相を歴任。1937年に首相となり対独宥和(ゆうわ)政策をとったが失敗。1939年、ドイツに宣戦。

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チェンバレン(Owen Chamberlain)
[1920~2006]米国物理学者核物理学を専攻し、1955年に反陽子を発見。1959年、ノーベル物理学賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

チェンバレン Chamberlain, Basil Hall
1850-1935 イギリスの言語学者。
1850年10月18日生まれ。明治6年(1873)来日,翌年海軍兵学寮教師。19年帝国大学教師。44年離日。この間「古事記」を英訳するなど日本の古典文学と文化を世界に紹介した。門下に上田万年(かずとし)らがいる。1935年2月15日死去。84歳。ポーツマス出身。号は王堂。みずからはチャンブレンとかいた。著作に「日本事物誌」「日本古代の詩歌」など。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版

チェンバレン【Arthur Neville Chamberlain】
1869‐1940
イギリスの保守党政治家。J.チェンバレンの次男。父の後を継ぎバーミンガムで実業界に入ったが,1915年同市市長に就任,18年下院議員となる。第1次世界大戦後,郵政相,保健相として内政改革に取り組み,保険・住宅・地方自治問題に手腕を発揮した。31年世界恐慌下,挙国内閣の蔵相を務め,保護関税政策,帝国特恵関税制度により経済危機克服に努めた。37年保守党党首,首相となり,ドイツ・イタリア・日本の枢軸陣営に対して,戦争回避のため宥和政策を推進して外相イーデンと対立。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

チェンバレン【Basil Hall Chamberlain】
1850‐1935
イギリスの日本学者。彼自身は名をチャンブレンと自署し,また王堂と号した。1873年(明治6)来日,はじめ海軍兵学寮教師,86年東京大学文科大学教師として,日本語,博言学(のちの言語学)を教授,4年に及んだ。1911年に日本を去るまで,日本語および古典文学の研究に献身し,その業績はすこぶる多い。ことに,《琉球語の研究Essay in Aid of a Grammar and Dictionary of the Luchuan Language》(1895)は,その方面の古典としてなお生命をもっている。

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チェンバレン【Houston Stewart Chamberlain】
1855‐1927
イギリス生れのドイツの著作家。ドレスデンで哲学と芸術史を学び,ウィーンに住んで,民族主義的なワーグナー論を書いた。のちバイロイトに居を移し,ワーグナーの娘エバと再婚,1916年にはドイツに帰化した。主著《19世紀の諸基盤》2巻(1899)で一種の人種主義的歴史哲学を展開したが,それは,J.A.deゴビノー学説に負いながらアーリヤ人が未来のヨーロッパを担う真の文化創造力を持った人種だとするもので,第1次世界大戦に際してはドイツによるゲルマン民族圏の征覇を求めるパン・ゲルマン主義の主張となった。

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チェンバレン【Joseph Austen Chamberlain】
1863‐1937
イギリスの保守党政治家。J.チェンバレンの長男。1892年下院に入り,95年から10年間に海相,大蔵財務次官,郵政長官,蔵相を歴任。第1次大戦中と戦後の連立内閣でインド事務相,蔵相。第2次ボールドウィン内閣の外相(1924‐29)として1925年ロカルノ条約を締結し,ヨーロッパの緊張緩和に貢献,ノーベル平和賞を受賞。軍縮をめざし,国際連盟を強力に支持した。【池田 清

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チェンバレン【Joseph Chamberlain】
1836‐1914
イギリスの政治家。ロンドンの製靴業者の家に生まれる。家業を通じて実業の世界にはいり,18歳のときバーミンガムに出てねじ製造業に身を投じ,30代後半に早くも産をなした。と同時に急進的な自由主義者としてしだいに政治へと転身し,1873年バーミンガム市長に選ばれ,ガス・水道の公営化,スラム街の撤去等の衛生・行政改革を断行,政治家としての基盤を確立した。76年,バーミンガムから下院議員に当選,以後,自由党内急進派の領袖となり,第2次グラッドストン内閣の商務相(1880‐85),第3次グラッドストン内閣の自治相(1886)を歴任したが,アイルランド自治問題で党首グラッドストンと衝突して自由党を脱退,党内保守派の領袖であったハーティントン卿とともに自由統一党を結成した。

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精選版 日本国語大辞典

チェンバレン
[一] (Arthur Neville Chamberlain アーサー=ネビル━) イギリスの政治家。ジョゼフの弟。一九三一年蔵相となり、世界恐慌後の財政を再建。三七~四〇年には首相として対独宥和政策をとり、ミュンヘン会談を開いた。第二次大戦開始後、辞任。(一八六九‐一九四〇
[二] (Owen Chamberlain オーエン━) アメリカの物理学者。核実験の分野で、核分裂、反陽子などについて重要な研究を行なう。一九五九年ノーベル物理学賞受賞。一九二〇年生。
[三] (Sir Joseph Austen Chamberlain サー=ジョゼフ=オースティン━) イギリスの政治家。ネビルの兄。蔵相・外相を歴任。西欧の安全保障を約したロカルノ条約の締結に指導的役割を果たし、一九二五年ノーベル平和賞受賞。(一八六三‐一九三七
[四] (Basil Hall Chamberlain バジル=ホール━) イギリスの言語学者。明治六年(一八七三)来日。帝国大学文科大学で日本語学、言語学を講じ、また、日本の古典・風俗を世界に紹介した。主著「日本口語文典」「日本事物誌」。(一八五〇‐一九三五

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