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チベット

朝日新聞掲載「キーワード」

チベット
中国西部の地域。チベット仏教を信仰し、独自の文化を構築してきた。17世紀以降からダライ・ラマ法王による統治が続いていたが、1959年、中国軍の侵攻に対して「チベット動乱」が発生。ダライ・ラマ14世はインドへ亡命、チベット亡命政府を樹立した。2009年から抗議のために焼身自殺する若い侶や尼僧が急増。これまで100人が自殺を図ったとされる。インドなどへの亡命者は計約13万人を超えるとされるが、亡命政府を承認した国はない。
(2013-02-16 朝日新聞 朝刊 京都市内 1地方)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

世界大百科事典 第2版

チベット【Tibet】
ヒマラヤ山脈の北側,崑崙山脈の南側に横たわる山岳地帯を地理的にチベットと称する。東は大雪山脈で中国本土と区切られ,西端はカラコルム山脈に接している。このうちのヒマラヤ山脈沿いの南縁とその北東に伸びた延長線上の南北に走る渓谷,および青海以南の四川省西縁の土地に住する民族がチベット人である。漢文史料で〈(てい)〉とか〈(きよう)〉と呼ばれていたものが古い時代のチベット系民族であるともされるが,確かではない。

出典:株式会社平凡社
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旺文社世界史事典 三訂版

チベット
Tibet
パミール高原の東,崑崙 (クンルン) 山脈とヒマラヤ山脈にはさまれた中国の自治区。中国では西部と中部のチベットのみを西蔵 (シーツアン) という
高原農耕地と遊牧民を含み,漢代から氐 (てい) ・羌 (きよう) の名で知られ,7世紀に吐蕃がおこって民族の統一がなった。吐蕃は唐やネパールと交通し,チベット仏教やチベット文字を創始したが,9世紀半ば以後分裂して各地に諸侯が割拠した。13世紀にモンゴルに征服されると,紅帽(サキャ)派の僧が重用され,明代にも優遇された。14世紀にツォンカパが出て堕落したチベット仏教を改革し,黄帽(ゲルク)派を創始した。以後,代々ダライ=ラマが宗教上・政治上の首長となったが,18世紀には清朝の支配下にはいり,また19世紀後半からはイギリスの圧力も加わった。辛亥革命後,ダライ=ラマは中国の宗主権を否認して完全独立を主張したが,中国政府はこれを認めなかった。第二次世界大戦後,国民政府はチベットに自治権を認めたが,中華人民共和国が成立すると,1951年チベットに軍を進めて「和平解放に関する協定」を結び,ダライ=ラマは59年インドに亡命した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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