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ティツィアーノ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ティツィアーノ
Tiziano Vecellio
[生]1488/1490. ピエーベ・ディ・カドーレ
[没]1576.8.27. ベネチア
イタリアの画家。長い生涯に多くの作品を残したルネサンス期のベネチア派最大の画家。ベリーニ兄弟(ジェンティーレ・ベリーニジョバンニベリーニ)に学び,ジョルジョーネの影響を受けた。1515年頃から『聖愛と俗愛』『フローラ』などでしだいに独自の画風を形成,『聖母被昇天』(1516~18),『バッカスとアリアドネ』(1520~23),『ペーザロ家の聖母』(1519~26)などで盛期ルネサンスの愛と自然への豊かな詩情を表現。ほかに『ウルビノのビーナス』(1538),『ダナエ』(1545)や,肖像画『パウルス3世と2人の孫』(1546),『カルル5世の騎馬像』(1548)などを描いた。『荊冠』(1570頃)は特異な色調と光の効果によって魂の究極的表現を可能にした晩年の傑作。後世に及ぼした影響は大きく,晩年には初期バロックの様式を予示している。(→ルネサンス美術

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)
[?~1576]イタリアの画家。ジョルジョーネとともに盛期ルネサンスベネチア派を代表する。独自の輝くような色彩の世界を確立し、女性の裸体画肖像画にすぐれた。作「聖愛と俗愛」「法王パウルス三世」など。チチアンチチアーノ

出典:小学館
監修:松村明
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世界大百科事典 第2版

ティツィアーノ【Tiziano Vecellio】
1490ころ‐1576
イタリアの画家で,16世紀ベネチア派最大の巨匠。アルプス山麓のピエベ・ディ・カドレPieve di Cadoreで由緒ある公証人の家系に生まれる。兄フランチェスコFrancesco Vecellioも画家。伝承では,9歳のときベネチアに出てモザイク画家ツッカートSebastiano Zuccatoの門に入り,次いでベリーニ一族(とくにジョバンニ)の工房で学ぶ。早熟な才能を発揮し,1508年には同門のジョルジョーネの協力者としてフォンダコ・デイ・テデスキ(ドイツ人商館)の外壁装飾に参加。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ティツィアーノ
てぃつぃあーの
Tiziano Vecellio
(1482ころあるいは88/90―1576)

イタリア盛期ルネサンスのベネチアの画家。アルプスの麓(ふもと)のピエーベ・ディ・カドーレで生まれる。生年はつまびらかではない。彼の友人ドルチェはその著書『絵画についての対話』のなかで、ティツィアーノが9歳でベネチアのセバスティアーノ・ツッカートに入門し、やがてジェンティーレ・ベッリーニのもとに移り、ついでジョバンニ・ベッリーニ、さらにジョルジョーネと師をかえていったと語っている。その最初期に帰せられる作品にはジョバンニ・ベッリーニや、とくにジョルジョーネの影響を示すものが多く、『田園の合奏』(パリ、ルーブル美術館)のように、ティツィアーノとジョルジョーネ間で、作品の帰属をめぐって、いまだ定説をみないものもある。記録の裏づけのある最初の作品は1511年のパドバのフレスコ(スクオーラ・デル・サント)であるが、この作品は、鮮やかな色調や、精彩ある人物表現によって、これに先行すると考えられる作品群より、いっそうティツィアーノの個性を顕著に示している。1510年ジョルジョーネが没し、翌年セバスティアーノ・デル・ピオンボがローマに移住、16年にジョバンニ・ベッリーニが死去することによって、ティツィアーノは名実ともにベネチア画壇の第一人者となる。この時期、ベネチアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の祭壇画として描かれた『聖母被昇天』(1516~18)は、その壮大な構図と、赤や青を金色に包み込んだ色彩の天上的な響きとによって、画家の才能を遺憾なく示した。

 ティツィアーノのもっとも独創的な試みであり、また西洋絵画史上の一つの画期的なできごとでもあるのは、色彩を物体描写の役割から解放し、それに自足的表現力を与える方向へ大きな一歩を踏み出したことである。初期の作品にも認められる色彩の新鮮な用法は、年とともに伝統からの離反を鮮やかに示すに至る。このことは中期の作『荊冠(けいかん)』(ルーブル美術館)と、晩年のこれと構図的にもよく似た同主題の作品(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)とを比較するとき明らかである。

 彼の長い活動期は多数の作品を生んだ。そのなかには宗教画のほかに『パウルス3世と甥(おい)、アレッサンドロとオッタビオ・ファルネーゼ』(1546・ナポリ、カーポディモンテ美術館)のような肖像画や『ダナエ』(1553~54・マドリード、プラド美術館)のような異教的主題の作品も含まれる。神聖ローマ皇帝カール5世、教皇パウルス3世、やがてスペイン国王となるフェリペ2世をはじめとする当時の多くの貴顕が競ってティツィアーノに揮毫(きごう)を求め、画家はこれに、質・量ともに超人的な力をもってこたえたのである。

[西山重徳]

『辻茂解説『世界美術全集8 ティツィアーノ』(1978・集英社)』『D・ローザンド解説『ティツィアーノ』(1978・美術出版社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ティツィアーノ
(Tiziano Vecellio ━ベチェリオ) イタリアの画家。ルネサンス盛期の巨匠。フィレンツェ派の形態主義に対し、ベネチア派の色彩主義を確立した。円熟した技法で、肖像・裸婦・風景などにすぐれる。一五七六年没。

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

ティツィアーノ
Tiziano Vecellio
1490ごろ〜1576
イタリア−ルネサンス時代のヴェネツィア派画家
自由な動的表現に新境地を開き,晩年はむしろ激情的な場面を好んで描いてバロック様式へ接近し,レンブラントに影響を与えた。代表作は『聖愛と俗愛』。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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