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デュボア

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

デュボア
Dubois, (Marie) Eugène François Thomas
[生]1858.1.28. アイスデン
[没]1940.12.16. デベデラエル
オランダの医学者,人類学者。ジャワ原人の発見者。アムステルダム大学で医学を学び,1886年同大学比較解剖学の講師となった。人類の祖先の発見に興味をもち,87年大学をやめ,東インド駐留のオランダ海軍に志願した。最初自力でスマトラ島で発掘を試み,次に政府の援助を得てジャワ島で発掘をし,91~92年にピテカントロプス・エレクトゥスの歯,頭蓋,大腿骨を発見した。 95年にヨーロッパに戻り,アムステルダム大学教授兼テイラー博物館長をつとめた。主著"Pithecanthropus erectus,eine menschenähnliche Übergangsform aus Java" (1874) 。

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デュボア
Dubois, Guillaume
[生]1656.9.6. ブリブラガヤルド
[没]1723.8.10. ベルサイユ
フランスの政治家,枢機卿。摂政となったオルレアン公フィリップの家庭教師から摂政政治を補佐,その安定のため 1716年イギリスと同盟,さらにそれをオランダオーストリアを加えた対スペイン四国同盟 (1717~18) に拡大し,フランス王位継承をねらうスペインの陰謀計画を阻止した。 20年カンブレー大司教,21年枢機卿となった。

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デュボア
Dubois, Jean-Antoine
[生]1765
[没]1848.2.17. パリ
フランスのローマ・カトリック宣教師。パリ外国宣教会に所属。 1792~1823年南インドで宣教に従事したが成功せず,パリに戻り,同会の指導者となる。『パンチャタントラ』 Pañcatantraのフランス語訳 (1826) ,インドの風俗の著作などを残した。

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デュボア
Dubois, Louis
[生]1830. ブリュッセル
[没]1880. ブリュッセル
ベルギーの歴史画家,肖像画家。パリでトマ・クーチュールに学び,のちにギュスターブ・クールベに深く共鳴。のちベルギーに帰ってソシエテ・リーブル・デ・ボザールの創設に尽くし,1871年に機関誌の編集長を務めた。代表作『白鳥』(1858,ベルギー王立美術館)。

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デュボア
Dubois, Pierre
[生]1250頃.ノルマンディー,クータンス付近
[没]1320頃
フランスの法律家,政治思想家。実質上無力化した神聖ローマ皇帝に代って,フランス王権がヨーロッパ政治を指導すべきこと,そのため国内では,王は諸種の権力を集中し,特にローマ教皇のフランス内の経済特権を制限すべきことを主張し,国王フィリップ4世を擁護した。 1302,08年全国三部会代表。『聖地回復について』 De recuperatione Terrae Sanctae (1306頃) などの著作がある。

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デュボア
Dubois, (François-Clément-)Théodore
[生]1837.8.24. ロズネー
[没]1924.6.11. パリ
フランスの作曲家,オルガン奏者,音楽理論家。パリ音楽院で作曲を C.トマについて学び,1861年ローマ大賞を得て卒業。イタリアから帰ってのち,聖クロチルドの合唱長を経て聖マドレーヌ聖堂のオルガン奏者。 71年パリ音楽院和声法教授,96年から9年間同院長。著書に『対位法とフーガ教本』 Traité de contrepoint et de fugue (1901) ,『和声法教本』 Traité d'harmonie (21) ,作品にはオペラバレエ音楽,オラトリオ,ミサ曲,管弦楽曲などがある。

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デジタル大辞泉

デュボア(Eugène Dubois)
[1858~1940]オランダの解剖学者・人類学者。軍医としておもむいたジャワ島で1891年に人類化石を発見し、1894年にピテカントロプス‐エレクトゥス命名

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世界大百科事典 第2版

デュボア【Eugène Dubois】
1858‐1940
ジャワ原人(ピテカントロプス)を最初に発見したオランダの人類学者。アムステルダム大学で医学を学び,1886年に解剖学の講師となったが,進化論者E.ヘッケルの影響をうけ,類人猿と人類との移行形の化石を発見することを決意し,87年にオランダ植民地軍の軍医となってインドネシアへおもむいた。スマトラ島での2年間の探索徒労におわったが,次のジャワ島でまずワジャク人の化石を発見し,91年にはソロ川のほとりのトリニールで,待望の頭蓋化石を発見した。

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デュボア【Pierre Dubois】
1250ころ‐1320ころ
フランスの法曹家,政論家。ノルマンディに生まれる。フィリップ4世側近の法律顧問団の一員であったが,さして重要な地位を占めなかったようにみえる。1306年《聖地奪回論》を著し,十字軍遠征において,フランス国王が主導権をとるべきことを主張した。この主張は,中世ヨーロッパにおける神聖ローマ帝国の理論上の優越性を否認し,フランス・ナショナリズムの萌芽を提示したものと評価される。【樺山 紘一】

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精選版 日本国語大辞典

デュボア
[一] (Théodore Dubois テオドール━) フランスの作曲家、音楽理論家。パリ音楽院院長。著に「和声学」「対位法とフーガ教本」など。(一八三七‐一九二四
[二] (Eugène Dubois ユージェーヌ━) オランダの解剖学者、人類学者。ジャワ原人を発見。(一八五八‐一九四〇

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