●ドラクロア
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ドラクロア
Delacroix, (Ferdinand-Victor)Eugène
[没]1863.8.13. パリ
フランス,ロマン派の代表的画家。 1816年エコール・デ・ボザールに入学,ピエール・ゲランに絵を学び,ルーブル美術館でルーベンス,ベロネーゼを研究。またイギリス文学,特にシェークスピア,バイロン,ウォルター・スコットに親しみ,ロマン主義的傾向を確立した。なお 1822年サロンに出品した『地獄のダンテとウェルギリウス』 (ルーブル美術館) ,1824年の『キオス島の虐殺』 (同) は激しい動勢の表現によって古典派の形式主義に対する挑戦を示すものであった。ジョン・コンスタブルの色彩に刺激され,1825年イギリスに渡り,リチャード・ボニントン,トマス・ロレンスらの画家と交わり,その影響を受けた。 1832年アルジェリア,スペイン,モロッコを旅行し,明るい色彩と風物に感銘を受け,補色並置による独自な彩色技法を確立した。この期の代表作に『アルジェの女たち』 (1834,同) がある。その他ルーブル宮殿アポロンの間の天井面 (1850~51) などの壁画や『ファウスト』などの石版画,日記,芸術論を残した。
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ドラクロア
Delacroix, Henri
[没]1937.12.3. パリ
フランスの心理学者。モンペリエ,カン両大学を経て,1909年ソルボンヌ大学教授。科学的心理学が感覚の働きを主要テーマとしていたのに反対し,ベルグソンの影響下に内省的方法によって宗教,言語,芸術創作など高度の精神活動を研究した。主著『神秘主義の心理学』 La psychologie du mysticisme (1908) ,『言語と思考』 Le langage et la pensée (24) ,『芸術心理学』 Psychologie de l'art (27) 。
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世界大百科事典 第2版
ドラクロア【Eugène Delacroix】
フランスの画家。フランス革命で活躍し,政府高官を務めたシャルルを父に,著名な家具師エーベンŒbenの娘ビクトアールを母にもったが,本当の父親はタレーランだとする説が今日では有力である。若くして両親を失ったが,リセ・アンペリアルで古典の基礎を身につけ,1815年ゲランGuérinのアトリエにはいり,年長のグロやジェリコーと知り合う。翌年エコール・デ・ボザール(国立美術学校)に入学するが,師の教えよりもルーブルでの模写から多くを学び,ルーベンス,ベネチア派の躍動感と色彩の純粋さを賛美する。
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精選版 日本国語大辞典
ドラクロア
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