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ニコライ1世【ニコライいっせい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ニコライ1世
ニコライいっせい
Nikolai I Pavlovich
[生]1796.7.6. ツァールスコエセロ
[没]1855.3.2. ペテルブルグ
ロシア皇帝 (在位 1825~55) 。パーベル1世の第3子。 1825年 12月兄アレクサンドル1世の突然の死後即位。即位当日首都でデカブリストの乱が起り,彼の治世はその鎮圧とともに始った。ニコライの国内政治は,文相 S.ウワーロフの提唱した「正教,専制,民族性」の三位一体のスローガンに表現されるように反動的なものであったが,事実その治世は専制君主制が最も強化された時期で,軍隊と官僚制はかつてない規模に達し,軍隊的秩序が社会のあらゆる分野に貫徹。官房には「第3課 (政治警察) 」が設置され,ペトラシェフスキー団,キュリロス=メトディオス協会など,あらゆる反体制組織が弾圧された。文学活動もきびしい検閲のもとにおかれ,プーシキン,レールモントフらすぐれた作家がニコライの専制の犠牲となった。またカフカス (コーカサス) におけるシャミルの運動,ポーランド人の蜂起 (30~31) などを鎮圧し,非ロシア民族のロシア化とキリスト教化を強行し,分離派を圧迫した。他方,改革がまったく行われなかったわけではなく,M.M.スペランスキーの『ロシア帝国法律大全』 (30) や『ロシア帝国法典』 (32) の編纂,P.D.キセリョーフの国有地農民行政の改革 (37~41) ,E.F.カンクリンの幣制改革 (39~43) などがみられたが,農奴制の漸進的撤廃案 (35) が地主貴族らの反対によって撤回させられるなど不徹底に終った。外交面では,K.ネッセルローデを登用して,オーストリア皇帝やプロシア王とともに「神聖同盟」の復活をねらい,48年2月パリに革命が起ると,フランスと国交を断絶,49年にはハンガリー蜂起を弾圧して革命の波及を防ぐなど,「ヨーロッパの憲兵」としての役割を発揮した。その治世中ロシアの勢力は中央アジア,近東,カザフスタンにも及んだが,黒海,バルカン半島への進出をねらって,トルコ,イギリス,フランスと対立,国際的孤立の状態で 53年クリミア戦争に突入,敗色濃厚のさなか病没した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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367日誕生日大事典

ニコライ1世
生年月日:1796年7月7日
ロシアの皇帝(在位1825〜55)
1855年没

出典:日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」
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