●ネルーダ
デジタル大辞泉
ネルーダ(Pablo Neruda)
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世界大百科事典 第2版
ネルーダ【Pablo Neruda】
チリの詩人。1920年代に象徴派風の憂愁にみちた《たそがれ》(1923)や,官能の喜びと不安をうたった《二十の愛の詩と一つの絶望の歌》(1924)で詩壇に登場。次いで《無限の人間の試み》(1925),《住民と希望について》(1926),《熱狂的な投石兵》(1933)を発表した後,外交官としてインドに赴き,この東洋体験とシュルレアリスムの影響の下に,宇宙的な神秘性と形而上的な苦悶をひそめた傑作《地上のすみか》(1933)を世に送った。
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ネルーダ
ねるーだ
Pablo Neruda
(1904―1973)
チリの詩人。本名はRicardo Neftari Reyes Basoalto。ポール・ベルレーヌとチェコの作家ヤン・ネルダからとった筆名を、1946年に本名とする。中部のパラールで鉄道員の父親と教員の母親の間に生まれ、母親の死後、南部のテムコに移住。辺境の荒々しく魅惑的な自然は彼の詩作の源泉となった。1921年、フランス語教師を目ざし、サンティアゴの大学に入学。学生連盟主催のコンクール優勝作『祭りの歌』(1921)や処女詩集『たそがれの歌』(1923)は、近代派の影が色濃い。しかし、当時、純粋詩への反動として現れた新ロマン主義の傾向をもつ『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』(1924)は、女性の肉体を「自然」に例えた大胆な表現により、近代主義を超え、青年たちの間に反響をよぶとともに、今日も多くの読者をもっている。『無限の人間の試み』(1925~1926)や、外交官として東南アジア、アルゼンチン、スペインを巡るなかでおもに書かれた『地上の住処(すみか)Ⅰ・Ⅱ』(1931~1935)では、シュルレアリスムおよび表現主義に近づいている。後者に現れるのは崩壊する世界、廃墟(はいきょ)であり、ペシミズムと苦悩の混沌(こんとん)のなかに深く身を沈める詩人の姿である。スペインで「27年世代」と交遊しつつ、詩誌『詩のための緑の馬』を主宰、そのなかで純粋詩を攻撃し、「不純粋詩」を唱えた。遭遇した内戦を機に、現実直視、人類連帯を志向する姿勢が現れる。『第三の住処』(1947)に含まれる『心の中のスペイン』(1937)は社会派詩人としての変化を示す詩集である。
その後、共産党に入党するとともに、上院議員にもなり、アメリカ大陸や人類に対する愛を歌った叙事詩、『大いなる歌』(1950)を書く。傑作『マチュピチュの頂(いただき)』はそのなかに含まれている。続く単純素朴な世界を扱った『基本的なオード』を経て、オプティミズムに満ちた『百の愛のソネット』(1959)や、祖国チリの自然とその神秘や、自伝、政治などのテーマを多様な形式で書き続けた。アジェンデ政権成立(1970)後はフランス大使をも務めた。1950年スターリン平和賞、1971年にノーベル文学賞を受賞したが、1973年、クーデターの最中に病没した。
[野谷文昭]
『本川誠二訳『ネルーダ回想録――わが生涯の告白』(1976・三笠書房)』▽『羽出庭梟編・訳『ネルーダ詩集』(『世界現代詩集Ⅲ』所収・1964・飯塚書店)』▽『大島博光編・訳『ネルーダ詩集』(『世界の詩集20』所収・1971・角川書店)』▽『荒井正道他訳『パブロ・ネルーダ ハインリッヒ・ベル』(『ノーベル賞文学全集25』所収・1973・主婦の友社)』
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精選版 日本国語大辞典
ネルーダ
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