●ノルマン朝【ノルマンちょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ノルマン朝
ノルマンちょう
Norman Dynasty
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デジタル大辞泉
ノルマン‐ちょう〔‐テウ〕【ノルマン朝】
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世界大百科事典 第2版
ノルマンちょう【ノルマン朝 House of Normandy】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ノルマン朝
のるまんちょう
ノルマンディー公ウィリアム(公としては2世、イギリス王としては1世、征服王)のイングランド征服(ノルマン・コンクェスト)によって開かれたイギリス王朝(1066~1154)。ウィリアム1世は大陸の封建制度を導入し、サクソン行政組織を利用して集権的な封建制度を確立した。その三男ウィリアム2世(在位1087~1100)、ついで四男ヘンリー1世(在位1100~35)が後を継ぐが、ヘンリー1世は中央政庁を整備し、全国に巡回裁判官を派遣して王権を強化した。彼は王子ウィリアムを亡くしたため、神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に嫁しその死後アンジュー伯ジェフリー(ジョフロア)と再婚していた娘のマティルダ(マティルド)を後継者としたが、貴族らは王妹アデラの子ブローニュ伯スティーブンを王に選んだ。そのためマティルダは王位を要求して十数年続く内乱を起こしたが、この間封建貴族勢力は伸展した。1154年スティーブン王の死後、マティルダの子アンジュー伯ヘンリー(2世)が即位してプランタジネット朝を開き、ノルマン朝は終わった。
[富沢霊岸]
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精選版 日本国語大辞典
ノルマン‐ちょう ‥テウ【ノルマン朝】
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旺文社世界史事典 三訂版
ノルマン朝
ノルマンちょう
Norman
ノルマン−コンクェストにより,ウィリアム1世(征服王)がイギリスに開いた王朝
ウィリアム1世は,ドゥームズデー−ブックを作製して,中央集権的な封建国家の基礎をつくり,その後,ウィリアム2世・ヘンリ1世と続いて封建国家が完成した。1135年ヘンリ1世の死後,王位の継承争いが起こったが,1154年ヘンリ2世が即位してプランタジネット朝を開いたため,ノルマン朝は終わった。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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