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ハイドゥ

デジタル大辞泉

ハイドゥ(Khaidu)
[1235ころ~1301]オゴタイ‐ハン国君主オゴタイの孫。1260年にフビライモンゴル帝国のハン位を継承すると、これを不服として反乱を起こし、30年余りにわたって抗争、帝国の分裂を招いた。カイドゥ海都

出典:小学館
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世界大百科事典 第2版

ハイドゥ【Khaidu】
?‐1301
オゴタイ・ハーン国の第4代君主。オゴタイの孫。トゥルイ家がオゴタイ家からハーン位を奪い,モンケが即位したとき,ハイドゥは処刑をまぬがれ,イリ川流域のカヤリクに所領を得た。当時カヤリクは東西交渉路上の一都会として商人が集まり,繁栄していたようである。ここで彼は力を養い,モンケ没後のトゥルイ家の内紛の際に,東方ではアリクブカを支援する一方,西方ではチャガダイ家を攻撃するほどになっていた。アリクブカが負けると,いよいよオゴタイ家領の統一に努力し,1260年代後半にフビライに対して決起した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ハイドゥ
はいどぅ
Khaidu
(1235/36―1303)

モンゴル帝国時代に元(げん)帝フビライと対立し中央アジアを制覇した遊牧民の英雄。父はオゴタイの第5子で、当初後継者とされたハシ、母は山地民メクリンの出身である。1251年新皇帝モンケによりオゴタイ一門の有力者が処刑・流罪され所領は細分されたとき、カヤリク方面を与えられ浮上し始めた。60年フビライとアリク・ブハの帝位継承戦争にはとくに動かず、66年以降チャガタイ家のバラクと争い、69年ジュチ家のモンケ・テムルも加えてタラスに会盟し和睦(わぼく)したが、71年フラグ家領侵略に失敗したバラクを暗殺したのを契機に、オゴタイ一門のほかチャガタイ系の多くも取り込み、85年以降はフビライ陣営に攻勢をかけ、アルタイ地区を所領とするアリク・ブハ裔(えい)も傘下に収めた。元軍との大会戦で負った傷で結局死去するが、彼の王国はチャガタイ家のドゥワに実力で継承された。

[杉山正明]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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旺文社世界史事典 三訂版

ハイドゥ
Khaidu 海都
?〜1301
オゴタイ−ハン国の君主(在位1269〜1301)
オゴタイ−ハン(太宗)の孫。猛将として知られ,フビライの大ハン位就任に反対してアリクブカに味方した。ついでチャガタイ・オゴタイ・キプチャク3ハン国同盟の大ハンとなって1269年から朝に反抗(ハイドゥの乱)し,モンゴル帝国の結合を弱めた。この反乱のためにフビライは第3次元寇を中止したといわれている。乱中に戦傷死

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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精選版 日本国語大辞典

ハイドゥ

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