@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

ハリーファ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ハリーファ
al-Khalifa, H. H. Sheikh Isa bin Sulman
[生]1933.6.3. マナーマ
[没]1999.3.6. マナーマ
バーレーン首長。イーサともいう。 1783年以来バーレーン島を支配してきたハリーファ家直系として 1958年に法定後継者に指名され,61年 11月父のによりバーレーンの統治者となった。 71年8月の独立とともに,元首である首長 (アミール) となった。 73年,議会開設のために総選挙を実施したが,75年に議会の機能を停止。 94年以降は,反政府運動への対処に追われた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ハリーファ
Thāni, Sheikh Khalīfa ibn Hạmad al-
[生]1932.9.17. ラヤーン
[没]2016.10.23.
カタールの首長(アミール。在任 1972~95)。カタールが主権を有する独立国となった 1971年9月から 5ヵ月後に政権を握った。1950~60年代にかけて治安部隊長官,教育局長,財務大臣,石油大臣など,政府の要職多数を歴任。1972年に,浪費癖から国民の反発を招いていた従兄弟のシェイク・アハマドを退位させ,首長となる。ハリーファの息子や兄弟らを含めたサーニ家が事実上政府の実権を握り,1975年には 15省庁のうち 10省庁を掌握していた。首長時代は,石油生産の隆盛にあと押しされた産業の近代化に努めた。その経済政策は,農業部門の拡大と化学肥料工場などの新たな産業の構築による経済の多角化であった。1976年に政党と労働組合が禁止されたが,ハリーファは成文憲法とイスラム法の枠組み内で法令による統治を行なった。カタールも部隊を派遣した湾岸戦争の終結後は日常的な統治を息子たちに任せたが,1995年7月に息子の一人であるハマド・イブン・ハリーファ・アル・サーニがハリーファの外遊中にクーデターを起こし,ハリーファは首長の座を追われた。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

はりーふぁ【ハリーファ】

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ハリーファ」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ハリーファの関連情報

関連キーワード

斎藤寅次郎五所平之助清水宏成瀬巳喜男稲垣浩小津安二郎大恐慌ルロイ伊藤大輔山中貞雄

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation