@niftyトップ

辞書、事典、用語解説などを検索できる無料サービスです。

ハンザ同盟【ハンザどうめい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ハンザ同盟
ハンザどうめい
Der Hansabund; Die Deutsche Hanse
中世後期に北海,バルト海沿岸のドイツ諸都市が結成した経済的同盟体。ハンザとは元来「商人仲間」の意味で,11世紀以降フランスやフランドル地方にもみられる。ドイツでは当初北ドイツ商人とライン,とりわけケルン商人が北海,バルト海沿岸貿易を独占する商人ハンザであったが,12世紀初頭以降ロンドン,ブリュッヘ,ノブゴロドベルゲンに根拠地を置く外地ハンザが形成され,これらがしだいに本国都市との間に政治的・軍事的同盟である都市ハンザを形成していった。特に 1358年フランドル商業封鎖の宣言に際して都市同盟の性格が明確化し,ドイツ・ハンザと名のることになった。このような本国諸都市同盟への転換は地理的に中枢的地位を占めていたリューベックを盟主として推進され,14世紀中頃以降独占貿易が脅かされるようになると,デンマーク戦争 (1368~70) を引き起こし,デンマーク制圧後は最盛期を迎えた。 15世紀以降イギリス,オランダで外来商人排斥の風潮が広がり,ドイツ人による独占貿易が崩壊した。さらに加盟都市内での商人と手工業者の争い,加盟都市間の利害の不一致,常設統治機関をもたない組織上の脆弱さも加わって衰退した。 1669年リューベックでハンザ会議が開かれたが,出席したのはリューベック,ハンブルクブレーメン,ブラウンシュワイクの代表者だけで,通常これがハンザ同盟の終焉とされている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉

ハンザ‐どうめい【ハンザ同盟】
《〈ドイツ〉Hansaは集団の意》13世紀から16世紀にかけて北欧の商業圏を支配した北ドイツの都市同盟。リューベックハンブルクなど北海バルト海沿岸の諸都市が結成。商業上の共同利益の保全海上交通安全保障共同防衛などを目的とし、最盛期の14世紀後半には70を超える都市が参加した。

出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版

ハンザどうめい【ハンザ同盟 Hanse】
13世紀から17世紀へかけて北ヨーロッパに成立していた都市連合体で,リューベック,ハンブルク,ケルンなどドイツ都市を圧倒的多数とする。日本では古くから〈ハンザ同盟〉という名で知られているが,〈同盟〉という呼称は適当ではない。ハンザ同盟という同盟条約が締結されたことはただの一度もなく,多分に自然発生的に成立し,国際法的拘束によることなく加盟都市の自発的意思によって維持されたからである。ハンザという言葉も元来は特定のものをさす固有名詞的な言葉ではなく,〈団体〉あるいは〈ギルド〉をさす一般的な普通名詞であった。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ハンザどうめい【ハンザ同盟】
一三世紀以降、リューベック・ハンブルク・ブレーメンなどの北ドイツ商業都市が貿易の独占と保護を目的として結んだ都市連合体。北海、バルト海沿岸に商業圏を広げ、一四世紀後半に最盛期を迎え、一七世紀後半に消滅。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

ハンザ同盟
はんざどうめい
中世の北欧商業圏の覇権を握った北ドイツ中心の都市同盟。ハンザ同盟とは俗称で、正式名称はドイツ・ハンザDeutsche Hanse (Hansa)。ハンザHanseの語の原義は「集団」を意味し、外地における商業権益を守るため団結した貿易商人の組合をさすことばとして使われた。[平城照介]

商人ハンザ

ロンドンには、すでに11世紀中葉、ケルンの商人が組合の集合所をもっており、12世紀中葉にはハンブルクの商人、リューベックの商人も組合結成を認められ、これら本国都市ごとの組合が合体して、ロンドンにおけるドイツ人ハンザが形成された。この種の商人ハンザの拠点はロンドンに限られなかった。リューベックの建設(1158)に始まる東ドイツ植民運動の進展の結果、バルト海沿岸に多数の商業都市が建設され、バルト海を中心に北欧商業圏が形成されたが、それに伴い、ノブゴロド、ベルゲン、ブリュージュなどにも、商人ハンザの重要拠点が設けられ、ハンザ商館Kontorとよばれた。
 最初北欧商業圏の指導権を握ったのは、ゴトランド島のビスビーを拠点に活躍したゴトランド商人であったが、13世紀末よりリューベックの商人がその地位を奪い、後のハンザ同盟の盟主となる地歩を築いた。[平城照介]

都市ハンザ

都市ハンザ、つまりハンザ商人たちの本国都市間の同盟としてのハンザ同盟は、この商人ハンザから生まれた。すでに13世紀中葉より、いくつかの都市間に個別的同盟が結ばれる事態が認められたが、1356~58年、ブリュージュの商館を拠点とするハンザ商人と、フランドル地方の在地商人との争いが激化し、ハンザ商人が本国都市に援助を求めてきた事件を契機に、リューベックの提唱によるハンザ諸都市の会議が開かれて(ハンザ総会の起源)、「ドイツ・ハンザの諸都市」の名のもとに対フランドル経済封鎖が宣言され、1366年には、外地における商業特権の享受がドイツ・ハンザ加盟都市の市民に限られることが確認されて、ドイツ・ハンザの都市同盟としての性格が明確となった。[平城照介]

同盟形態

ハンザ同盟内の結合は比較的緩く、加盟都市の代表で構成されるハンザ総会で重要な決定がなされ、また、のちになると加盟都市の分担金の制度がつくられたが、成文化された同盟規約も、恒常的執行機関も存在せず、加盟都市の公式リストさえ一度も作成されなかったので、加盟都市の範囲すらさだかでない。同盟の中核となったのは約70の都市であり、ほかに130ほどの都市が緩い形でこれに加わっていたといわれる。都市以外にドイツ騎士団も加盟していた。[平城照介]

消滅

中世末・近世初頭、イギリスはじめ強力化し始めた国民国家が、重商主義的政策をとり始め、とくにオランダの商業資本がバルト海貿易に進出し、指導権を奪った結果、ハンザ同盟は急速に衰退し、加盟都市も激減した。1669年の最後のハンザ総会に出席したのは、リューベック、ハンブルク、ブレーメンのほかは、わずかに三都市(ケルン、ブラウンシュワイク、ダンツィヒ)を数えるにすぎなかった。リューベック、ハンブルクおよびブレーメンは、すでに1630年以降緊密な相互援助同盟を結成しており、ハンザ同盟消滅後も、19世紀に至るまで、ハンザ都市の伝統を維持し続けた。第二次世界大戦後の「ドイツ連邦共和国」(旧西ドイツ)においても、ハンブルクとブレーメンの二都市は、他の七州(ラント)と同格の連邦構成員となっている。[平城照介]
『増田四郎著『独逸中世史の研究』(1951・勁草書房) ▽高村象平著『西欧中世都市の研究 ハンザの経済史的研究』(1980・筑摩書房) ▽高橋理著『ハンザ同盟』(1980・教育社)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

精選版 日本国語大辞典

ハンザ‐どうめい【ハンザ同盟】
(ハンザはHansa) 北ドイツの都市同盟。中世の北欧商業圏を支配した経済的、政治的な自治同盟。一二~一三世紀頃生まれ、一五世紀以降に衰微。一六四八年ウェストファリア条約により解散。盛時は一〇〇以上の都市が参加。中心都市はリューベック、ハンブルク、ブレーメン、ケルンなど。

出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ハンザ同盟」の用語解説はコトバンクが提供しています。

ハンザ同盟の関連情報

他サービスで検索

(C)The Asahi Shimbun Company /VOYAGE MARKETING, Inc. All rights reserved.
No reproduction or republication without written permission.

アット・ニフティトップページへ アット・ニフティ会員に登録

ウェブサイトの利用について | 個人情報保護ポリシー
©NIFTY Corporation