●ハンナラ党【ハンナラとう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ハンナラ党
ハンナラとう
Grand National Party
韓国の政党。 1997年 11月,大統領選挙の直前にキム・ヨンサム (金泳三) 大統領主導のもとに,新韓国党と第3野党の民主党が合党して成立。党名の「ハン」は大きい,1つ,韓の意味を表わし,「ナラ」は国をさす。 96年に新韓国党の母体となった民主自由党の元総裁であるノ・テウ (盧泰愚) 元大統領が政治献金疑惑で訴追されたのを受け,新韓国党のイメージを一新するために合併・新党設立へと踏み切った。 97年 12月の大統領選挙ではイ・フェチャン (李会昌) 総裁が出馬し 38.7%の得票率を得たが,自由民主連合と提携した金大中に敗れた。しかし国会では過半数を占めており,国会と大統領府で立場が逆転する結果となった。 98年8月党大会では再び李会昌を総裁に選出。
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知恵蔵
ハンナラ党
ハンナラは「ひとつの国」「偉大な国」といった意味。盧泰愚(ノ・テウ)政権下の与党民主自由党、金泳三(キム・ヨンサム)政権下の与党新韓国党の流れをくみ、金大中(キム・デジュン) ・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下で野党となった。国会内では第1党だったが、2004年4月の総選挙を前に、盧武鉉大統領の弾劾訴追を進め、世論の猛反発を受けて敗北し、党勢立て直しのため、故朴正熙 (パク・チョンヒ)大統領の長女、朴槿恵(パク・クネ)氏を代表に据えた。07年12月の大統領選を控えて、朴氏は代表を辞し、元ソウル市長の李明博(イ・ミョンバク)氏と公認を争った。李氏が公認をとり、大統領選にも勝利してハンナラ党への政権交代を実現した。
(2008年)
(2008年)
出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」
デジタル大辞泉
ハンナラ‐とう〔‐タウ〕【ハンナラ党】
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