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ハンニバル

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ハンニバル
Hannibal
[生]前247. カルタゴ
[没]前183/前182. 小アジア,リビュサ
カルタゴ名将。生涯ローマと戦い続けた。ハミルカル・バルカスの子。義兄ハスドルバルに従いスペイン経略に専念。前 221年義兄が暗殺されると,カルタゴ軍の最高指揮官となった。前 219年サグンツムを攻撃したことからローマが宣戦,第2次ポエニ戦争 (ハンニバル戦争) が勃発した。前 218年4/5月歴史家ポリュビオスによればハンニバルは 10万 2000 (数字は誇張であり,総勢ほぼ4万) の兵と象を率いて進発。ガリア人と戦い,ピレネーから冬のアルプス越えを敢行して,同年秋に残存の歩兵2万と騎兵 6000を率いて北イタリアに侵入,P.スキピオ (→スキピオ家 ) の率いるローマ軍を破り,アペニン山脈を越えカンパニアを席捲した。前 217年はアプリアに冬営,翌年カンネーの戦いで大勝し,南イタリアを制圧。「ハンニバルきたる」の語はローマ人の心胆を寒からしめ長く諺として残った。しかし戦争は長期化し,イタリア諸地方共同体のローマからの離反をねらったハンニバルの計画はまったく見通しを誤り,次第に苦境に陥った。前 207年救援におもむいた弟ハスドルバルが敗れ,カルタゴ軍はイタリア南端に追いつめられた。しかも本国がスキピオ・アフリカヌス (大スキピオ) の攻撃を受けたためハンニバルは急遽帰国したが,前 202年ザマの戦いに敗れて戦争は終結した。以後政治家として寡頭政を弱め,産業育成,財政再建に努めたが,反対派の讒言によりローマの手が伸び,シリアのアンチオコス3世のもとへ逃れた。そこでローマ打倒を目指して行動を起したが,パンフリアのシデ沖でローマ艦隊に敗れ,クレタのビチュニアを頼ったがそれもむなしく,ローマの追及の手が届く前にみずから毒を仰いで命を絶った。

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ハンニバル
Hannibal
アメリカ合衆国,ミズーリ州北東部の都市。セントルイス北西約 160km,ミシシッピ川右岸に位置する。 M.トウェーンが少年時代を過したところで,『トム・ソーヤーの冒険』などの作品の舞台となった。蒸気船時代には重要な河港であった。現在は鉄道修理,製靴,機械などの工場がある。人口1万 8004 (1990) 。

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デジタル大辞泉

ハンニバル(Hannibal)
[前247~前183]カルタゴ将軍。第二次ポエニ戦争でローマ軍に大勝したが、のちにローマの武将スキピオに敗れた。内政改革も反対にあって成功せず、小アジアに亡命して自殺

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デジタル大辞泉プラス

ハンニバル
2001年製作のアメリカ映画。原題《Hannibal》。トマス・ハリスの同名小説の映画化。監督:リドリースコット、出演:アンソニー・ホプキンス、ジュリアン・ムーア、ゲイリー・オールドマンほか。

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ハンニバル
米国の作家トマス・ハリスのベストセラー小説(1999)。原題《Hannibal》。2001年、リドリー・スコット監督により映画化。テレビドラマ化作品もある。

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ハンニバル
《Hannibal》イギリス海軍の戦艦。マジェスティック級。1896年進水、1898年就役の前弩級戦艦。スカパ・フローの護衛艦などとして活動。1920年退役。

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世界大百科事典 第2版

ハンニバル【Hannibal】
前247ころ‐前183か182
カルタゴの将軍,政治家。ハミルカル・バルカス長子。第2次ポエニ戦争を戦い抜いた名将。カルタゴの第1次ポエニ戦争敗北後,前237年幼くして父とともにスペインに渡った。父の死後,義兄ハスドルバルがスペイン経略を続けたが,前221年に暗殺されたため,軍隊に推されて将軍の職についた。全スペインを制圧するための戦いを展開した後,前219年春,エブロ川南方のローマの同盟市サグントゥム攻撃をはじめ,8ヵ月の攻囲戦の後これを落とし,第2次ポエニ戦争の火ぶたを切った。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

ハンニバル【Hannibal】
前247頃~前183頃 カルタゴの将軍。紀元前218年イタリアに侵入し第二次ポエニ戦争を起こす。カンネーの戦いなどでローマを苦しめたが、ザマの戦いでスキピオに敗北。のちカルタゴを離れ、小アジアで自殺。

出典:三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ハンニバル
はんにばる
Hannibal
(前247/246―前183/182ころ)
カルタゴの将軍、政治家。ローマに対して第2回ポエニ戦争を戦いぬいた将軍。ハミルカル・バルカスの長子。幼くして父とともにスペインに渡り、スペイン経営を進めた父の死後、その後を継いだ義兄ハスドルバルHasdrubalが倒れるや、紀元前221年、25歳で将軍に選ばれた。前219年春、ローマの同盟市サグントゥムを攻撃して、これを陥落させ、翌年第2回ポエニ戦争(ハンニバル戦争ともいわれる)を起こした。スペインからピレネー山脈を越えて南フランスを席巻(せっけん)したのち、雪のアルプスを越えて北イタリアに侵入し、トレビア河畔、トラシメヌス(トラジメーノ)湖畔の戦いをはじめイタリア各地で大いにローマ軍を破った。とくに前216年のカンネーの決戦では用兵の妙を発揮し、戦史上屈指の大殲滅(せんめつ)戦を展開、一時は首都ローマにも迫った。しかし持久戦に持ち込まれたため戦線はしだいに膠着(こうちゃく)し、その後はイタリア半島の南端で戦い続けた。前203年、本国カルタゴに召還されたのち、アフリカの地で戦ったが、前202年のザマの決戦で大スキピオの率いるローマ軍に敗れ、第2回ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わった。
 その後、ローマ、カルタゴ間の平和条約締結後も将軍職を保ち、前196年には行政上の長官に選ばれて、財政改革を中核とする民主的な国制の変革を行い、ローマへの報復の機会をねらったが、親ローマ派の策動、ローマの干渉により、カルタゴから脱出せざるをえず、シリアのアンティオコス3世のもとに身を寄せた。しかし結局反ローマ闘争も実を結ばず、その後は小アジアのビテュニアに移ったが、ローマの手の伸びたのをみて自殺して果てた。
 戦略の妙、用兵の巧みさなど、アレクサンドロス大王、ピロス大王などと並ぶ古代世界屈指の名将として知られる。一方、政治的手腕に関しては、否定的な見解もあるが、マケドニアのフィリッポス5世との同盟条約の示す地中海世界規模の視野、カルタゴ敗戦後の行政改革などから、優れた政治家とみなすことができよう。また人間性に関しては、現存史料の偏向性を含みに入れても、自制心、節制、なによりも長年にわたり傭兵(ようへい)を十分に掌握し通したことから肯定的にみることが許されよう。[長谷川博隆]
『長谷川博隆著『ハンニバル――地中海世界の覇権をかけて』(『人と歴史シリーズ 西洋3』1973・清水書院)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

ハンニバル
(Hannibal) カルタゴの名将。紀元前二一八年ローマに挑戦し第二次ポエニ戦争を起こした。アルプスを越えてイタリアに侵入し、ローマ軍を撃破。のち、前二〇二年ザマの戦いで大スキピオの率いるローマ軍に大敗、東方に逃れて反攻を続けたが敗れ、自殺した。(前二四七頃‐前一八三頃

出典:精選版 日本国語大辞典
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旺文社世界史事典 三訂版

ハンニバル
Hannibal
前247ごろ〜前183
カルタゴの名将
父のハミルカル=バルカスとともにスペインに遠征し,父の死後はスペイン全軍の総司令官となった。第2回ポエニ戦争(ハンニバル戦争)を起こし,困難をおかしてアルプスを越えてイタリア半島に侵入,各地でローマ軍を破り,前216年カンネーの戦いで大勝した。しかし前208年本国に召還され,前202年勢力をばん回したローマ将軍大スキピオとのザマの戦いに大敗。その後もローマに反抗を続けたが,前183年自殺した。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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