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ハールレム

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ハールレム
Haarlem
オランダ北西部,ノールトホラント州州都アムステルダムの西約 20kmに位置する。1245年に都市権を獲得,1572年ネーデルラントのスペインからの独立を要求する自治体の一つとなり,アルバ公のスペイン軍の包囲攻撃に 7ヵ月間耐えた。17世紀にはフランスからのユグノー派亡命者(→ユグノー)によって絹織物,レース,ダマスク織の技術が伝えられ活気をみせた。19世紀末からは,印刷,機械縫製綿織物などの軽工業が立地。郊外では 17世紀以来の球根栽培が盛んで,世界各地に輸出する。13世紀の市庁舎,14~15世紀の大聖堂など,古い歴史を反映した建造物が多い。また 15世紀からはネーデルラントの芸術の中心地となり,マニエリスムが開花。フランス・ハルス美術館などにその作品が収められている。カトリックおよびジャンセニスト派(→ジャンセニズム)の司教座所在地でもある。人口 14万6960,大都市圏 40万6162(2007推計)。

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デジタル大辞泉

ハールレム(Haarlem)
オランダ西部の商業都市チューリップ栽培の中心地。米国ニューヨークのハーレムは同地に由来ハーレルム

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世界大百科事典 第2版

ハールレム【Haarlem】
オランダ西部,北ホラント州の州都で,アムステルダムの西方約18kmに位置する。人口15万4000(1981)。19世紀末からは近代的工業都市,アムステルダムのベッドタウンであり,また市西部の砂丘地帯,南部のハールレム湖干拓地,北部のエイ川干拓地などを含む南ケンネメルラントZuid‐Kennemerlandの中心都市である。 エイ川に注ぐスパールネSpaarne川の湾曲部に発達し,1245年都市法を与えられて以降ビール醸造,毛織物業,造船,セッケン製造,漂白業などが発達した。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ハールレム
はーるれむ
Haarlem

オランダ西部、ノールト・ホラント州の州都。人口14万8377(2001)。北海から約7キロメートルの内陸に位置し、両者の間には海岸砂丘が横たわる。南西郊外の砂丘地帯では、ヒヤシンス、クロッカス、スイセンなどが栽培され、オランダの花卉(かき)園芸の中心地となっている。とくに15世紀に小アジアから導入されたチューリップ栽培が有名で、その球根は世界中へ輸出される。また古くから羊毛工業、醸造業が行われていたが、現在は造船、機械、繊維の諸工業が発展する。11世紀にホラント伯の宮殿が建設されてから繁栄し、1245年に自治権を獲得した。その後1492年に反乱農民が一時占拠し、また独立戦争中の1573年にはスペイン軍により包囲、略奪された。15世紀以降、芸術の中心となり、とくに17世紀にはロイスダール、ハルスなどハールレム派の画家を多数輩出し、建築家カイも活躍した。旧市街はスパールネ川と堀で囲まれ、中央の大広場を取り巻いて旧市庁舎、大教会、フレースハル(昔の肉市場、現在は公文書館)など古い建物群がある。

[長谷川孝治]

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