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バスチーユ

デジタル大辞泉

バスチーユ(Bastille)
城塞》中世フランスの城塞。特に、14世紀後半、百年戦争の際パリ防衛のためサンタントワーヌ郊外に築かれたものをさす。17世紀以来国事犯牢獄転用。1789年7月14日、圧制の象徴としてパリ市民に襲撃・破壊され、フランス革命発端となった。バスティーユ

出典:小学館
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日本大百科全書(ニッポニカ)

バスチーユ
ばすちーゆ
Bastille

元来、フランス語で「城砦(じょうさい)」を意味する普通名詞だが、古くからパリにある城砦のうちおもなものをこの名でよぶ習慣があり、さらにサンタントアーヌ郊外に存在したもののみをさすことになった。この城砦は、もとイギリス軍に対するパリ防衛のため築かれたもので、最終的には17世紀ルイ13世のとき宰相リシュリューによって牢獄(ろうごく)とされた。これに収容されるのは貴族やブルジョアジーで、とくに重大な犯人以外おおむね自由で快適な生活が許されていたが、反権力の文筆家の投獄によって陰惨な印象を与え、一般に絶対王政のシンボルとして認められた。このため1789年7月14日の攻撃を招き寄せ、その攻略は大革命の本格化を画することになった。

 バスチーユ牢獄は1789~90年に取り壊され、1803年その一部にバスチーユ広場Place de la Bastilleが誕生した。現在のパリ市内東部、セーヌ川右岸のサンタントアーヌ通り東端にあたり、主要な大通りが集中する。広場の中央に、七月革命(1830)の犠牲者を記念した高さ約50メートルの円柱(1840~41建設)が立ち、パリ名所の一つとなっている。

[樋口謹一]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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精選版 日本国語大辞典

バスチーユ
(Bastille 元来は「城塞」の意) パリ東部、サンタントアーヌ郊外にあった城塞、のち牢獄。百年戦争のときにパリ防衛のために築造された城の一つで、ルイ一三世により獄舎に改造されて、当時の反政府的な文筆家らが投獄され、専制政治の象徴と目されていた。一七八九年七月一四日、パリの民衆が襲撃して破壊し、これがフランス革命の発端となった。九〇年に取り壊され、跡地は現在広場となっている。

出典:精選版 日本国語大辞典
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