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バターン死の行進【バターンしのこうしん】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

バターン死の行進
バターンしのこうしん
Bataan Death March
太平洋戦争中,バターン会戦で降伏したアメリカ=フィリピン軍将兵に対し,旧日本軍が行なった残虐な取扱い事件。 1942年4月にアメリカ=フィリピン軍が降伏し,日本軍は捕虜収容所へ移動させるために,マリベレスから 30km離れたバランガまで徒歩で行進させ,ここから 53km離れたサンフェルナンドまでトラックで移送する計画を立てた。しかし,食糧,トラックなどの用意が十分にできず,多くの者がサンフェルナンドまで4~5日かかって歩くことになった。そこからさらにカパスまで鉄道で運び,カパスからキャンプ・オドンネルまで 13kmを歩かせた。7万人中,目的地に達したのは5万 4000人でアメリカ兵 2330人を含む 7000~1万人が行進中に死亡,他は途中でジャングルに逃れたといわれる。戦後,当時フィリピン攻略軍司令官の本間雅晴中将が責任を問われ,アメリカ軍によって処刑された。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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朝日新聞掲載「キーワード」

バターン死の行進
日米開戦から4カ月後の1942年4月、日本軍がフィリピン・バターン半島の米比軍基地を占領。米兵ら約8万人を捕虜にし、炎天下を約80キロ歩かせ、数千の死者を出したとされる。その後捕虜は日本や旧満州に送られ、強制労働でも大勢を落とした。
(2010-09-14 朝日新聞 朝刊 政治政策)

出典:朝日新聞掲載「キーワード」

世界大百科事典 第2版

ばたーんしのこうしん【バターン死の行進】

出典:株式会社平凡社
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