●パウサニアス
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
パウサニアス
Pausanias
[没]前470頃
古代ギリシア,スパルタの摂政。スパルタ王クレオンブロトス1世の子。ペルシア戦争中の前 480年テルモピュレで戦死したレオニダスの息子の摂政となった。前 479年スパルタとアテネを主とするギリシア連合軍を指揮し,プラタイアイでアケメネス朝のペルシア軍に大勝。翌年連合艦隊を率いてビザンチオンを占領したが,その尊大な態度とペルシア風の生活様式を取入れたために,忠誠を疑われ,同盟諸市のスパルタに対する信頼も低下した。ペルシア王との結びつきを疑われ,2度もスパルタへ召還されたが放免された。しかしヘロットの反乱に加担したと疑われ,エフォロスらに捕えられることを恐れ,神殿に逃げ込み餓死した。
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
パウサニアス
Pausanias
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
パウサニアス【Pausanias】
スパルタの将軍。レオニダスの甥。前479年ギリシア連合軍を率いてプラタイアイの戦でペルシア軍を破った。翌年ギリシア艦隊を率いてキュプロスやビュザンティオンを奪還した。ところがここで彼はペルシア風の生活様式をまね,尊大にふるまって,ギリシア連合内のアテナイ勢とペロポネソス勢の溝を深めた。さらにペルシアとの内通を疑われ,2度にわたって本国に召還された。密告でヘイロータイの反乱を企てたことが発覚し,クセルクセス宛の手紙が内通の証拠とされると,彼はアテナ神殿に逃れたが餓死させられた。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
パウサニアス【Pausanias】
ローマ帝政期のギリシアの地誌学者。170‐180年ころ10巻の著作《ギリシア案内記》を完成した。本書はアッティカ,メガラ,コリントス,アルゴリス,ラコニア,メッセニア,アカイア,アルカディア,ボイオティア,フォキス,デルフォイなどギリシア本土の各地の都市,聖域,名所,神殿などを歴訪する旅人のための案内書の形をとり,各地の史跡にまつわる伝承や史実,神話などを織りまぜながら,過ぎにしギリシアの栄光を物語る。
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
精選版 日本国語大辞典
パウサニアス
出典:精選版 日本国語大辞典
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
旺文社世界史事典 三訂版
パウサニアス
Pausanias
出典:旺文社世界史事典 三訂版
執筆者一覧(50音順)
小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
Copyright Obunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.
それぞれの項目は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「パウサニアス」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●パウサニアスの関連情報
関連キーワード
| ベリンダ ストーウェル| 松永鉄也| ベリンダ ストーウェル| ヨー アーレ| マルコム ページ| マシュー ベルチャー| オリビア ポーリー| エリーゼ レチッチ| 上野太郎| ガンビア川|