●パフラビー朝【パフラビーちょう】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
パフラビー朝
パフラビーちょう
Pahlavīyah
出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉
パフラビー‐ちょう〔‐テウ〕【パフラビー朝】
出典:小学館
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:田中牧郎、曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
世界大百科事典 第2版
パフラビーちょう【パフラビー朝 Pahlavī】
出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.
日本大百科全書(ニッポニカ)
パフラビー朝
ぱふらびーちょう
Pahlavi
イランの王朝(1925~79)。第一次世界大戦後のイランをめぐるイギリス・ソ連両国の角逐のなかで、クーデターを敢行し実権を掌握したレザー・ハーン(のちにシャー)により創始された。初代皇帝レザー・シャーは、強力な軍事独裁体制を敷き、19世紀以来続いた西欧列強への経済的、政治的従属からの脱却を計り、内政面では早急な「近代化」政策を推進した。しかし外交面ではナチス・ドイツに接近したために第二次大戦下イランに侵攻したイギリス・ソ連両軍の圧力により退位させられた。続いて即位したモハンマド・レザー・パーレビは、大戦中イギリスにかわり中東に対する影響力を強化したアメリカとの関係の緊密化を計った。一時、モサデク政権による石油国有化闘争の際に亡命の危機を迎えたが、アメリカの画策でこれを克服したのち、63年には「白色革命」を断行。70年代には急増する石油収入を背景に第五次五か年計画に着手したが、経済政策の失敗と、独裁に対する国民の不満の急激な増大のなかで、79年のイスラム革命により打倒された。
[八尾師誠]
出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
「パフラビー朝」の用語解説はコトバンクが提供しています。
●パフラビー朝の関連情報
関連キーワード
| 島津保次郎| 清水宏| 溝口健二| 常用漢字| 新常用漢字表| 衣笠貞之助| 五所平之助| 加藤高明内閣| エレクトロニクス史(年表)| 戦間期(年表)|