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パフラビー朝【パフラビーちょう】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

パフラビー朝
パフラビーちょう
Pahlavīyah
イランの王朝 (1925~79) 。 1919年,英仏協定によってイランを保護領にしようとしたイギリスに対して,イランの民族運動が高揚,ソビエト赤軍の援助を受けた革命政権が北部諸州に樹立された。この事態に脅かされたイランの保守勢力とイギリスは当時カズビーンのペルシア・コサック旅団長であったレザー・ハーン (→レザー・シャー ) を動かした。彼はテヘランに進軍,21年2月 21日クーデターによって実権を掌握した。彼は 23年首相となり,25年 11月にはカージャール朝を廃止,同年 12月 16日みずからレザー・シャー・パフラビーの称号をもってパフラビー朝初代皇帝に即位した (在位 1925~41) 。彼はまず軍隊を統一して軍部独裁制を確立,27年対外不平等条約の廃棄を宣言し,35年国号を従来のペルシアからイランに代え,37年には隣接4ヵ国と相互不可侵条約を締結。イランの対外的地位の確立に努める一方,経済,社会,教育の各方面にわたる内政改革を強力に推進して近代国家としての自立を目指した。第2次世界大戦に際して中立政策をとったが,ドイツへの接近が著しく,41年英ソ両軍の侵入を招いて退位を強いられ,皇太子ムハンマド・レザー・パフラビー (→ムハンマド・レザー・シャー ) が跡を継いだ。 53年の石油国有化運動の高揚は,英米の利権や国王の地位さえ危うくしたが,53年8月の国王軍によるムハンマド・モサッデグ内閣打倒クーデターの成功によってこの危機を回避,以後,王権は強化され,60年代には六点改革あるいは白色革命と称する内政改革および数回の年次計画を遂行して,地主貴族階級の勢力削減と産業振興をはかった。一方,中東石油産出諸国のリーダーとして重きをなし,またソ連との関係をも好転させつつ,中国の承認に踏切るという積極的かつ柔軟性に富んだ外交政策を推進した。しかし近代化・工業化政策の急激な推進は国内経済の危機を招き,人心の動揺をもたらし,78年からは反体制デモが繰返され,ストライキが多発する事態となった。国王は経済テクノクラートのアムゼガル,宗教界に影響力をもつシャリーフ・エマーミー,統合参謀総長のアズハリー,旧国民戦線系のバフティヤルに次々と組閣を命じ,事態の収拾をはかったが失敗。 79年2月 11日,反体制勢力のテヘラン市制圧によってパフラビー朝は崩壊した。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉

パフラビー‐ちょう〔‐テウ〕【パフラビー朝】
Pahlavīイランの王朝。1925年、カージャール朝に代わってレザー=シャー創始。1935年に国号をイランと定めた。1941年に王子モハンマドが即位、米国の援助のもとで強力な改革を行ったが、1979年にホメイニ師らによるイスラム革命で打倒された。パーレビ朝パフレビー朝

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世界大百科事典 第2版

パフラビーちょう【パフラビー朝 Pahlavī】
イランの王朝。1925‐79年。パーレビー朝とも呼ばれる。第1次世界大戦直後,イラン北部では地方革命政権が生まれ,テヘランの中央政府の力は極度に弱まったが,イギリス帝国主義はロシア革命の波及を恐れて,1921年レザー・ハーンによるクーデタを演出し,その権力を強化した。彼は軍部独裁の道を進み,25年末レザー・シャー(レザー・シャー・パフラビー)と称してパフラビー朝を興し,26年戴冠式を行い,上からの近代改革を進めようとした。

出典:株式会社平凡社
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大辞林 第三版

パフラビーちょう【パフラビー朝】
イランの王朝(1925~1979)。カジャール朝にかわってレザ=シャーが創建、1935年国号をペルシャからイランと改称。41年パフラビー(パーレビー)が王位を継承、西欧化政策をとったが、イスラム教シーア派の反乱にあい79年に亡命、王制は廃止。パーレビー朝。

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日本大百科全書(ニッポニカ)

パフラビー朝
ぱふらびーちょう
Pahlavi
イランの王朝(1925~79)。第一次世界大戦後のイランをめぐるイギリス・ソ連両国の角逐のなかで、クーデターを敢行し実権を掌握したレザー・ハーン(のちにシャー)により創始された。初代皇帝レザー・シャーは、強力な軍事独裁体制を敷き、19世紀以来続いた西欧列強への経済的、政治的従属からの脱却を計り、内政面では早急な「近代化」政策を推進した。しかし外交面ではナチス・ドイツに接近したために第二次大戦下イランに侵攻したイギリス・ソ連両軍の圧力により退位させられた。続いて即位したモハンマド・レザー・パーレビは、大戦中イギリスにかわり中東に対する影響力を強化したアメリカとの関係の緊密化を計った。一時、モサデク政権による石油国有化闘争の際に亡命の危機を迎えたが、アメリカの画策でこれを克服したのち、63年には「白色革命」を断行。70年代には急増する石油収入を背景に第五次五か年計画に着手したが、経済政策の失敗と、独裁に対する国民の不満の急激な増大のなかで、79年のイスラム革命により打倒された。[八尾師誠]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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