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ビクトル4世【ビクトルよんせい】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ビクトル4世
ビクトルよんせい
Victor IV
教皇インノケンチウス2世在位 1130~43)の対立教皇(在位 1138.3.~5.)。本名 Gregory Conti。枢機卿(→カーディナル)だったが,シチリア王ロジェール2世(在位 1130~54)と有力貴族ピエルレオーニ家が率いる,教皇インノケンチウス2世への対抗勢力により,対立教皇アナクレツス2世(在位 1130~38)の後継者として選出された。高名な神秘家であるクレルボー修道院長ベルナルドゥス説得により,インノケンチウス2世との和解に応じてローマで退位した。

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ビクトル4世
ビクトルよんせい
Victor IV
[生]?
[没]1164.4.20. ルッカ
教皇アレクサンデル3世(在位 1159~81)の対立教皇(在位 1159~64)。本名 Ottaviano De Monticelli。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(在位 1155~90)が,アレクサンデル3世に対抗するため擁立した 4人の対立教皇のうち,最初の一人。その命名にあたり皇帝は,以前に存在していた対立教皇ビクトル4世(在位 1138)を無視して同じ名を与えた。1159年9月に行なわれた教皇ハドリアヌス4世(在位 1154~59)の後継を選ぶ教皇選挙では,少数派がビクトル4世を推し,多数派はアレクサンデル3世を支持し,それぞれ擁立した。両者の対立をうけ,フリードリヒ1世は教会の保護者として分裂の解消をはかり,1160年にパビアで会議を招集した。会議では教会はビクトル4世を教皇として承認したが,神聖ローマ帝国が教皇を支配下に置くことへの抵抗は強く,帝国領のドイツでさえ一部の聖職者はアレクサンデル3世への忠誠を示し続けた。ビクトル4世は最後まで多くの支持を得られず,後継としてパスカリス3世(在位 1164~68)が擁立された。

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