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ビザンチン美術【ビザンチンびじゅつ】

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ビザンチン美術
ビザンチンびじゅつ
Byzantine art
中世におけるビザンチン帝国 (ローマ帝国) の美術。同帝国は古代ローマ帝国の延長であるため,その始りをどこにおくかは必ずしも一致しないが,早くともコンスタンチヌス大帝のコンスタンチノポリス遷都 (330) ,遅くもユスチニアヌス帝の登位 (527) の頃が考えられる。その始りから聖像論争の開始 (726) までの期を初期ビザンチン,論争の終り (843) から第4回十字軍の首都侵入 (1204) までを中期ビザンチン,それ以後 1453年の帝国滅亡までを末期ビザンチン,滅亡後にギリシア本土,エーゲ海の島々,ベネチアのギリシア人の間に生き続けた伝統をポスト・ビザンチンと呼ぶ。その最盛期は,(1) 6世紀のユスチニアヌス帝の時代,(2) マケドニア朝 (867~1056) の「マケドニア朝ルネサンス」の時代,(3) パレオロゴス朝 (1261~1453) の「パレオロゴス朝ルネサンス」の時代である。地理的にはギリシア本土,小アジアを中心とし,北はバルカン,南はナイル川流域,西はイタリアの諸地,東はアルメニア,ゲオルギア,シリアなど,帝国とその美術の影響の及んだ範囲を含めて扱うことが多い。神と皇帝の超越的権能を強調し,また神秘的内観を重んじる伝統から,様式には観念的,図式的傾向が著しい。だがその反面,古代ヘレニズム伝統の継承者として,純正な古代芸術の復活も再々みられ,この両傾向の授受のうちに多様な展開がみられる。建築ではドーム工法を得意とし (イスタンブール,ハギア・ソフィア大聖堂,531完成) ,その内部を壮麗なモザイクで飾った (フォキス,ホシオス・ルカス修道院聖堂,10世紀末) 。彫刻は6世紀以降ほとんど浮彫に限られたが,象牙彫にすぐれたものが多く (ラベンナ,『マクシミアヌスの司教座』,6世紀中頃) ,そのほかエマイユ,ミニアチュールなど無数の逸品を生んだ。ヨーロッパ中世美術の発展はビザンチン美術の刺激なくしてありえず,その伝統は今日でもロシア,ギリシアの正教会の美術に生きている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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精選版 日本国語大辞典

ビザンチン‐びじゅつ【ビザンチン美術】
〘名〙 東ローマ帝国(ビザンチン帝国)を中心に行なわれたキリスト教美術。一般にはユスティニアヌス大帝(在位五二七‐五六五)以後、その滅亡(一四五三)に至る頃までの美術をさす。政治と宗教が結合した特異な宮廷美術を生み、建築ではギリシア十字形円蓋式教会堂を、絵画ではモザイクやイコンなどを発展させた。イスタンブールの聖ソフィア寺院、ラベンナのサン‐ビターレ寺院のモザイク装飾などが代表的。

出典:精選版 日本国語大辞典
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