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ビットリーニ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ビットリーニ
Vittorini, Elio
[生]1908.7.23. シラクサ
[没]1966.2.12. ミラノ
イタリアの小説家,批評家。第2次世界大戦後のいわゆるネオレアリズモ文学の立役者。大戦中は反ファシズム活動のため 1943年7月に逮捕されたが,釈放後さらに活発に地下抵抗運動に参加。解放直後の 45年から 47年まで雑誌『ポリテクニコ』 Politecnicoを主宰,新しい文化運動を展開。エイナウディ社に拠って「ジェットーニ双書」I gettoniを編んで新人作家の発見と育成にあたった。また 59年からカルビーノと共編で年刊文芸誌『メナボー』 Il menabòを発刊,9号まで出して病没した。同 10号 (1967) はビットリーニ追悼号にあてられた。主著『シチリアでの会話』 Conversazione in Sicilia (41) ,『人と人にあらざるもの』 Uomini e no (45) ,『赤いカーネーション』 Il garofano rosso (48) ,『メッシナの女たち』 Le donne di Messina (49) ,『公開日記』 Diario in pubblico (57) ,『二つの緊張』 Le due tensioni (67) ,『世界の諸都市』 Le città del mondo (69) 。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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世界大百科事典 第2版

ビットリーニ【Elio Vittorini】
1908‐66
イタリアの作家。シチリアの鉄道員の家庭に生まれる。父親の意志により会計士となるべく専門学校へ通うが,中退し,独学によってさまざまな分野の文献を読破する。1927年に北イタリアへ移住し,会計士として働きながら文学活動を開始。29年から反ファシズム系文芸誌《ソラーリア》の編集に携わり,同誌に短編小説群を発表(1931年に《プチ・ブルジョアジー》の総合タイトルで刊行)。さらに33年からは同誌上に長編小説《赤いカーネーション》(完全版1948)の連載を始めるが,ファシズムの勢力絶頂を極め大衆がその幻想に酔いしれていた時期に,いち早くファシズムの本質を見抜いてその真の相貌を鋭く描き出したこの小説は,当局の執拗な妨害にあう。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

大辞林 第三版

ビットリーニ【Elio Vittorini】
1908~1966 イタリアの作家。第二次大戦中、アメリカ文学の翻訳普及に寄与したのち、戦後は「ポリテクニコ」「メナボ」など文芸総合誌を主宰。ネオレアリズモの代表的作家。小説「シチリアでの会話」「人間と人間にあらざるものと」ほか。

出典:三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)

ビットリーニ
びっとりーに
Elio Vittorini
(1908―1966)
イタリアの小説家。シチリア島に鉄道員の子として生まれる。中等教育しか受けられなかったが早くからさまざまの文学作品を読む。16歳のとき家出をして北イタリアに移住、建設会社で会計士として働いたが、その経験は短編集『プチブルジョアジー』(1931)に描かれている。また、フィレンツェではいっしょに働いていた印刷工から英語を学び、膨大な英米文学の文献を読破、翻訳紹介も行った。1929年から反ファシズム系文芸誌の『ソラーリア』の編集に携わり、33年から同誌に長編『赤いカーネーション』(完全版1949刊)の連載を始めたが、ファシズム当局の検閲により中断。36年、長編『エリヤとその兄弟』(未完、1956刊)にとりかかり、ミラノを舞台にブルジョアジーに圧迫されたエチオピア侵略戦争下の労働者の悲惨な現実を、寓話(ぐうわ)的手法で書き進めたが、スペイン内戦の勃発(ぼっぱつ)に衝撃を受け、長編『シチリアでの会話』(1941)を発表した。これは叙事=叙情の手法を駆使した暗喩(あんゆ)に満ちた作品で、パベーゼの『故郷』(1941)とともにネオレアリズモ文学の出発点となった。また、モンターレ、チェッキ、パベーゼらとアメリカ文学の翻訳をまとめて画期的なアンソロジー『アメリカーナ』(1942)を編んだが、これも当局に忌避され、ビットリーニの解説は削除された。
 1943年9月、すでに獄中にあったビットリーニは、休戦協定を機にミラノ刑務所を脱出、45年4月の解放まで地下抵抗組織に加わり、共産党と連帯して重要な役割を果たし、パルチザン闘争の渦中にありながら、その激しい体験を前衛的手法で、長編『人と人にあらざるもの』(1945)を書き上げた。また、解放直後にフランスにおけるサルトルの『レ・タン・モデルヌ』誌と呼応してエイナウディ社に拠(よ)り『ポリテークニコ』誌(1945~47)を発刊、戦後イタリア社会の文化運動の立役者となった。しかし、政治と文化をめぐるトリアッティとの論争で共産党と対立、文化運動から一歩退くと同時により強固な地歩を文学に置き、「ジェットーニ双書」(1951~59)を編み、戦後の重要な作家のほとんどを世に送った。『メナボ』誌(1959~67)と自選論集『公開日記』(1957)は、彼を知るための基本的文献である。[河島英昭]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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