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ビバルディ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ビバルディ
Vivaldi, Antonio
[生]1678.3.4. ベネチア
[没]1741.7.28. ウィーン
イタリアの作曲家,バイオリニスト。父ジョバンニ・バティスタや G.レグレンツィに音楽を学ぶ。 1703年聖職者となり,「赤毛司祭」として親しまれた。 03~40年ベネチアの女子音楽学校ピエタ養育院に勤め,バイオリン教師,合奏長などを歴任。作品は種々の楽器のための 450曲以上のコンチェルト,室内楽曲,世俗カンタータ,教会音楽,オラトリオオペラなど数多く,J.S.バッハに影響を与えた。主作品は作品3『調和の霊感』,バイオリンとオーケストラのための『四季』,オラトリオ『敵の将軍ホロフェルネスに勝って帰るユーディト』 (1716) ,オペラ『忠実なニンフ』 (32) 。

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ビバルディ
Vivaldi, Cesare
[生]1925. インペリア
[没]2000. ローマ
イタリアの詩人,評論家。前衛作家集団「63年グループ」から出て,『ベッリ』誌に実験詩を発表。ラテン詩の口語訳,諷刺詩のアンソロジーを編んだ。主著『ヨーロッパ賛歌』 Ode all'Europa (1952) ,『影との対話』 Dialoghi con l'ombra (1960) ,『細目』 Dettagli (1964) ,『F.マウリ』 F. Mauri (1970) 。

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デジタル大辞泉

ビバルディ(Antonio Vivaldi)
[1678~1741]イタリアの作曲家。後期バロック様式の協奏曲形式を確立した。作品に、「四季」を含む協奏曲集「和声と創意への試み」や「調和の霊感」など。→バロック音楽

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世界大百科事典 第2版

ビバルディ【Antonio Vivaldi】
1678‐1741
イタリアの作曲家,バイオリン奏者。ベネチアで生まれ育ち,1703年に司祭になったが,まもなく,ピエタ慈善院(不幸な境遇の女児を収容して音楽を教えており,事実上,音楽学校であった)の音楽の教師になった。18年(または19年)から23年まで,マントバヘッセン・ダルムシュタット辺境伯フィリップの宮廷楽長を務めたり,ローマに滞在したりしたが,40年まで,だいたいピエタの教師をしていた。この年にピエタの職を辞してウィーンに赴いたが,その動機は不詳。

出典:株式会社平凡社
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日本大百科全書(ニッポニカ)

ビバルディ
びばるでぃ
Antonio Vivaldi
(1678―1741)

イタリア盛期バロックを代表する作曲家、バイオリン奏者。独奏協奏曲様式の確立者。3月4日、サン・マルコ大聖堂付きバイオリン奏者ジョバンニ・バティスタ・ビバルディの長男としてベネチアで生まれる。聖職者としての修行を積むが、生まれつきの喘息(ぜんそく)のため親元から通う例外が許され、父のもとでのバイオリンの勉強も続けられたと考えられる。1703年司祭に叙されるが、父親譲りの髪の色のために「赤毛の司祭」とよばれた。父もまたG・B・ロッシ(赤毛)とよばれている。持病のためミサを司式することができなかったビバルディは、同年9月、ベネチアにあった孤児院兼音楽学校オスペダーレ・デッラ・ピエタ(ピエタ養育院)のバイオリン教師となる。「ピエタ」との関係は断続的ではあるが結局死の前年の1740年まで続き、当時のヨーロッパに名声をとどろかせていたそこの女性オーケストラのため、数多くの協奏曲、室内楽曲を作曲、上演した。今日知られているもっとも古い作品はトリオ・ソナタ集作品1(1705)で、その後バイオリン・ソナタ集作品2(1709)、さらには出世作となった協奏曲集『調和の霊感』作品3(1711)をはじめ、1713年までは器楽曲ばかり作曲していたようである。

 1713年4月、「ピエタ」の楽長だったガスパリーニの病気退職に伴い、ビバルディは宗教音楽の作曲も始める。こうして有名な『グローリア』をはじめとするミサ曲、詩篇(しへん)、モテットなどが生まれるのである。オラトリオ『勝利のユディタ』は14年にベネチアで初演されている。10年代に、ビバルディはオペラの世界に足を踏み入れる。13年4月にビチェンツァで初演された『離宮のオットー大帝』によって初めて名声を得た彼は、ベネチアのサンタンジェロ劇場の作曲家兼興行師として活躍することになる。この劇場の地主の一人だったベネデット・マルチェロが書いた風刺的な著作『当世の劇場』(1720)は、当時のビバルディたちの仕事ぶりを生き生きと描写したものと考えられている。14年の謝肉祭(冬)のシーズンはビバルディのオペラ『狂気をよそおうオルランド』で開幕され、17年までにさらに2曲のオペラが上演されており、16~17年にはサン・モイゼ劇場のためにも3曲のオペラを書いている。

 1718年以後、ビバルディの活動は各地に広がってゆく。その年の4月にマントバでオペラ『エジプト戦場のアルミーダ』を上演したのを皮切りに、20年までは同地で次々にオペラを上演し、その後はローマで活躍している。23年と24年の謝肉祭には『テルモドン川のヘラクレス』(1723)をはじめとする3曲のオペラがローマで上演されているが、P・L・ゲッツィ描く有名な風刺画もこのころ描かれたものである。アルト歌手アンナ・ジローとの関係も、このころ始まったと思われる。彼女は1724~47年、ベネチアを中心に活躍したオペラ歌手だが、ビバルディは司祭の身にもかかわらず、彼女とその妹のパウリーネをつねに身近に置いたため、指弾を受けることになる。

 1726~28年、ビバルディはふたたびベネチアのサンタンジェロ劇場を中心に活躍するが、器楽曲の出版も盛んである。すでに25年には、『四季』を含む協奏曲集『和声と創意への試み』作品8がアムステルダムのル・セーヌから出版されているほか、同社からは27年には協奏曲集『ラ・チェトラ』作品9(皇帝カール6世に献呈)、28年ごろには『海の嵐(あらし)』や『ごしきひわ』を含むフルート協奏曲集作品10、29年には協奏曲集作品11、12が出版されている。

 1729~33年、ビバルディはプラハをはじめとして各地に旅行し、オペラを上演しているが、33~35年にはまたサンタンジェロ劇場と、サン・サルートのグリマーニ劇場のためにも数曲のオペラを書いている。ベネチアでのオペラ活動はこのころが最後で、以後はベローナ、アンコーナ、レッジョ、フェッラーラでの興行が多くなる。38年にはアムステルダムの王立劇場百年祭の音楽監督を務めるなど、名誉と成功を得た反面、聖職者らしからぬ生活を理由に、フェッラーラからは入国を拒否されるという事件もあり、ベネチアでの評判も落ちたためか、40年には突然故郷を捨て、翌41年7月28日、旅先のウィーンで客死している。約770曲の作品中、オペラは46曲、ソナタが約90曲で、中心は約500曲を数える協奏曲である。リトルネッロ形式をおもな構成原理とする協奏曲の編成のほとんど(約350曲)は独奏協奏曲で、そのうち約230曲はバイオリン協奏曲である。約60曲の弦楽のための協奏曲は、オペラの序曲に近く、前古典派の交響曲の先駆的存在ともいえる。バッハをはじめとする当時の作曲家に与えた多大な影響も忘れてはならない。

[樋口隆一]

『パンシェルル著、早川正昭・桂誠訳『ヴィヴァルディ――生涯と作品』(1970・音楽之友社)』『カンデ著、戸口幸策訳『ヴィヴァルディ』(1970・白水社)』『コルネーダー著、馬淵卯三郎・大村典子訳『ヴィヴァルディの演奏法』(1977・アカデミア・ミュージック)』

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精選版 日本国語大辞典

ビバルディ
(Antonio Vivaldi アントニオ━) イタリアのバイオリニスト、作曲家。司祭から音楽家に転じ、ピエタ養育院でバイオリンを教えながら、バロック時代の典型的な独奏協奏曲の形式を確立。さらに多くの器楽曲・歌劇・教会音楽を書いた。「和声法とインベンションの試み」中の「四季」は特に有名。(一六七八‐一七四一

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