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ピアソン

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ピアソン
Pearson, Karl
[生]1857.3.27. ロンドン
[没]1936.4.27. ロンドン
イギリスの数学者,記述統計学の建設者の一人。ロンドンのユニバーシティ・カレッジとケンブリッジ大学のキングズ・カレッジを卒業。 1881~84年は法曹界の仕事,進歩的政治活動,文芸活動に従事していたが,母校ユニバーシティ・カレッジに招かれ,1933年に退官するまで,応用数学の教授 (1884) ,幾何学のグレシャム教授職 (91) ,応用数学部部長 (1907) ,優生学のゴルトン教授職 (11) を歴任。 F.ゴルトンらの著作に刺激されて,遺伝や進化の問題に統計学を応用することに熱中した。彼は『進化論への数学的寄与』と題する 18の論文を発表し (1894~1916) ,χ2 検定を含む統計学応用上の重要な手法を確立した。また,統計学誌『生物測定学』の創刊から深くかかわり (01~36) ,『優生学年報』監修者としても活躍した (25~36) 。主著『自由思想の倫理』 (1888) ,『科学の文法』 (92) ,その他数表などがある。息子の E.S.ピアソンも数理統計学者で J.ネイマンと協力して,仮説検定論,信頼区間の理論など,近代数理統計学の発展に大きな貢献をしている。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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ピアソン
Pearson, Lester Bowles
[生]1897.4.23. トロント
[没]1972.12.27. オタワ
カナダの政治家。第1次世界大戦に参戦後,トロント,オックスフォード両大学で学び,1924年トロント大学の歴史学の講師,26年同大学助教授。 28年外務省入り。アメリカ駐在カナダ大使 (1945~46) ,外務次官 (46~48) を経て,48年自由党議員。同年 L.サン・ローラン内閣の外相。超大国とは異なった役割をカナダに与えようとする「中間国家外交で知られ,56年のスエズ危機の際にその本領が発揮された。休戦協定実施のための国連軍派遣に尽力し,その功績に対し 57年ノーベル平和賞が与えられた。 58年自由党党首,63~68年首相。在任期間中に社会福祉上の諸政策を推進,「二言語・二文化委員会」を任命して,イギリス系とフランス系の2つの民族の間に横たわる主として文化的な諸問題について調査を行なった。現在のカナダ国旗は彼の統治下で制定された。引退後は病気がちであったが,世界銀行の依頼により発展途上国問題を論じたピアソン報告をまとめ,自由党の重鎮としても活躍した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus

ピアソン Pierson, Ida Goepp
1859-1937 アメリカの宣教師。
明治25年(1892)来日。28年長老教会のジョージ=ピアソンと結婚し小樽にすむ。札幌スミス女学校(北星学園)でおしえ,小樽静修女学校に協力。36年旭川にうつり廃娼(はいしょう)運動や監獄伝道,アイヌ伝道につくす。大正3年から野付牛(のつけうし)(北見市)で活動した。昭和3年帰国。享年78歳。ペンシルベニア州出身。

出典:講談社
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

ピアソン Pierson, Louise Henrietta
1832-1899 アメリカの宣教師。
1832年4月7日生まれ。明治4年(1871)アメリカ婦人一致外国伝道協会から派遣され来日。同年横浜山手でアメリカン-ミッション-ホーム(現横浜共立学園)の創立にかかわり,校長となる。14年偕成伝道女学校(のちの共立女子神学校)を新設した。明治32年11月28日横浜で死去。67歳。ニューヨーク州出身。

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ピアソン Pierson, George Peck
1861-1939 アメリカの宣教師。
1861年1月14日生まれ。明治21年(1888)来日し,明治学院でおしえる。北海道旭川などで伝道し,廃娼(はいしょう)運動をすすめた。大正3年から15年間野付牛(のつけうし)(北見市)で伝道,ピアソン記念館,ピアソン通にその名をのこす。1939年7月31日死去。78歳。ニュージャージー州出身。プリンストン大卒。

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世界大百科事典 第2版

ピアソン【Karl Pearson】
1857‐1936
イギリスの統計学者。ケンブリッジ大学で数学を学び,ロンドン大学の教授となる。F.ゴールトンの影響により,生物学における統計的方法に興味をもつに至り,ゴールトンとともに雑誌《計量生物学Biometrika》を創刊し(1901),また近代的数理統計学の基礎を築いた。その主要な貢献としては,相関係数の定義,回帰分析の方法の確立,χ2適合度検定法の発明,〈ピアソン系分布〉の導入,統計量の大標本のもとでの〈蓋然(がいぜん)誤差〉の計算,母数推定の積率法の提案などがある。

出典:株式会社平凡社
Copyright (c) Heibonsha Limited, Publishers, Tokyo. All rights reserved.

ピアソン【Lester Bowles Pearson】
1897‐1972
カナダの首相。在職1963‐68年。自由党に属する。トロント大学オックスフォード大学で学んだ後,第1次世界大戦に参戦傷痍軍人として復員し,トロント大学で歴史の教鞭をとる。1928年に外務省に入省。駐米大使を経て48年,L.S.サン・ローラン自由党内閣において外務大臣就任。49年のNATO創設,50年のイギリス連邦コロンボ会議,51年のサンフランシスコ講和会議にカナダ代表として参加。56年のスエズ危機の際に即時停戦,国連軍による停戦の監視を提案し,57年にはノーベル平和賞を受賞した。

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精選版 日本国語大辞典

ピアソン
(Karl Pearson カール━) イギリスの応用数学者、優生学者。数理統計学の創始者。優生学・生物統計学を研究、人類の遺伝に関する統計的分析など、進化論・遺伝学に寄与した。主著「科学の文法」。(一八五七‐一九三六

出典:精選版 日本国語大辞典
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