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ピエモンテ【ぴえもんて】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ピエモンテ
ぴえもんて
Piemonte
イタリア北西部の州。面積2万5399平方キロメートル、人口416万6442(2001国勢調査速報値)。トリノ、クーネオ、ノバーラ、アレッサンドリア、ベルチェッリ、アスティ、ビエッラ、ベルバーノ・クジオ・オッソラの8県からなる。州都トリノ。アルプス山脈(南・西・北部)とリグリア・アペニン山脈(南東部)に囲まれ、フランスおよびスイスと国境を接する。中央部では多数の支流の水を集めながらポー川が流れ、パダナ(ポー川流域)平野が広がる。なかでもベルチェッリとノバーラ両県の灌漑(かんがい)平野はイタリア最大の稲作地帯を形成している。米のほか、セロリ、インゲンマメ、牧草、トウモロコシなどの農産物が全国生産のなかで高い比重を占める。しかしピエモンテ経済の土台は工業で、とりわけフィアット社を有するトリノの自動車工業、オリベッティ社のあるイブレアの事務機械工業、ビエッラの毛織物工業などが重要である。[堺 憲一]

世界遺産の登録

ピエモンテ州と隣接するロンバルディア州に点在するサクリ・モンティ(「聖なる山」サクロ・モンテの複数形)が2003年、ユネスコ(国連教育科学文化機関)により「ピエモンテとロンバルディアのサクリ・モンティ」として世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。[編集部]

歴史

ローマ時代にはトランスパダーナとリグリアの一部をなし、トリノやイブレアの前身となる町が建設されたが、ピエモンテという地方名はまだ存在しなかった。11世紀中葉、サボイア伯オッドーネOddone(サボイア伯1051?~57)がトリノ伯領を領有し、同地方におけるサボイア家支配の拠点が成立する。13世紀前半ピエモンテという名称が出現し、サボイア家の領土拡張に伴い、その範囲も広がった。1416年サボイア公国が成立。15代目のサボイア公ビットリオ・アメデオ2世Vittorio Amedeo (サボイア公1675~1713、シチリア王1713~20、サルデーニャ王1720~30)のときには、新たにサルデーニャ島を加えてサルデーニャ王国が発足した。18世紀中ごろまでには現在のピエモンテのほぼ全域がサボイア家のもとで統一される。その後1850年代、宰相カブールの指導下でイタリア統一運動(リソルジメント)の旗頭となり、1861年には事実上サルデーニャ王国による全国併合という形で国家統一が達成される。その結果、サルデーニャ王であるビットリオ・エマヌエレ2世が初代のイタリア王に、またトリノが新生イタリアの最初の首都(1861~65)になった。[堺 憲一]

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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