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ピサロ(Camille Pissarro)【ぴさろ】

日本大百科全書(ニッポニカ)

ピサロ(Camille Pissarro)
ぴさろ
Camille Pissarro
(1830―1903)

フランスの画家。生涯の大半をフランスで過ごした印象派を代表する1人だが、国籍は終生デンマークであった。7月10日、フランス系ユダヤ人を両親に、当時デンマーク領のアンティーユ諸島サン・トマ島に生まれる。若くしてフランスに渡り、1855年絵画修業のためパリに出、コロー、クールベ、ドービニーらから大きな影響を受けた。59年から70年の間、何度かサロンに入選するが、63年の落選展にも参加している。70~71年のプロイセン・フランス戦争の間はロンドンに渡り、同じくロンドンにきたモネとともにコンスタブルやターナーの作品に触れて、深い感銘を受ける。

 帰国後の1872年からはポントアズに居を構え、印象主義の様式で大地の風景を描く。ピサロは74年から86年まで8回開かれた印象派展のすべてに参加した唯一の画家であり、第1回展のための規約を草する労を引き受けるなど、組織化にはきわめて熱心で、しばしばグループ内に生じた亀裂(きれつ)の修復にも腐心した。70年代末から彼の絵のなかでは農民がしだいに重要な位置を占めるようになり、また版画の制作にも取り組んだ。85~90年の間、若いスーラの感化を受けて新印象主義の手法で描いたが、それはひとつにはそれまでのピサロの描法の論理的な展開でもあった。しかし、晩年はふたたび印象主義の描法に戻り、84年来居住するエラニーで田園の主題に取り組む一方、パリ、ルーアン、ディエップなどで都会の風景を描いた。1903年11月12日パリで没。ピサロはクロポトキンやエリゼ・ルクリュなどのアナキストの著述にも通じており、こうした彼の政治思想がその芸術を貫く重要な要素の一つとも考えられている。代表作には『赤い屋根』(1877)など。

[大森達次]

『ジョン・リオルド著、平沢悦郎訳『ピサロ』(1968・美術出版社)』『シャルル・キュンストレル著、谷本和彦訳『印象派の巨匠たち3 ピサロ』(1975・小学館)』

出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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