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ピサロ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

ピサロ
Pissarro, Camille
[生]1830.7.10. デンマーク領西インド諸島,セントトマス島
[没]1903.11.13. フランス,パリ
フランス印象派の画家。フルネーム Jacob-Abraham-Camille Pissarro。デンマーク領西インド諸島,今日のアメリカ合衆国領バージン諸島に生まれ,1855年パリに出て没年までフランスで暮らしたが,生涯デンマーク国籍で通した。ジャン=バティスト・カミーユ・コロー,ギュスターブ・クールベに師事。やがてクロード・モネ,ピエール・オーギュスト・ルノアール,ポール・セザンヌらと親交を結び,ジャン・フランソア・ミレーの影響を受けて新しい自然表現を目指した。普仏戦争中はイギリスに逃れたが 1871年帰国し,パリ郊外に定住。1874年の第1回印象派展覧会から最後の第8回展まで出品し,印象派の代表的画家となった。1886年印象主義とも分かれ,ジョルジュ・スーラの影響を受けて新印象主義の画風に転じ,分割主義の理論や点描主義の技法を採用したが,のち独自の様式に戻った。主要品は『ルーブシエンヌの道』(1870,オルセー美術館),『ボワザン村の入口』(1872,同),『赤い屋根』(1877,同),『カフェ・オ・レを飲む若い農婦』(1881,シカゴ美術館),『モンマルトル通り』(1897,エルミタージュ美術館)など。

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ピサロ
Pizarro, Francisco
[生]1475頃.トルヒリョ
[没]1541.6.26. リマ
スペインの探検家,インカ帝国征服者。 1510年 A.オヘダのラテンアメリカ遠征隊に加わり,さらに V.バルボアの太平洋発見に同行。 22年に H.ルケ,D.アルマグロと協力し,パナマよりラテンアメリカ西海岸の探検を試み,ペルーインカ帝国の存在を確認,28年一度帰国して国王カルロス1世 (神聖ローマ皇帝カルル5世 ) を説得し,インカ征服の交渉に成功,部下とともに貴族に列せられ,30年パナマに戻り,31年 185人の兵,37頭の馬,船3隻を率いてペルーに出発。 32年皇帝アタワルパを捕えて翌年処刑し,インカ帝国を滅ぼした。 35年には首都リマを建設し全ペルーを支配した。しかしアルマグロと対立,37~38年の内戦でアルマグロを破り処刑したが,のちにその残党暗殺された。

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ピサロ
Pizarro, Gonzalo
[生]1502? トルヒリョ
[没]1548.4.10. クスコ
スペインの探検家,インカ帝国征服者。ペルーを征服した F.ピサロの異母弟で,1531年とともにインカ帝国を征服,39年にキト総督となった。 41~42年キトからアンデス山脈を越えてアマゾン川流域を探検後,兄の暗殺と総督のを解かれたことを知った。 44年新副王着任の際に,反乱を起して 46年のアナキトの戦いに勝ち副王を処刑。しかし 48年に副王軍の P.デ・ラ・ガスカ司教に敗れ処刑された。

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ピサロ
Pizarro, Hernando
[生]1504頃
[没]1578頃
スペインの探検家,征服者。ペルーのインカ帝国を征服した F.ピサロの異母弟。 1531年スペインからペルーに渡り,兄とともにインカ帝国を征服。一度本国に戻ったが再びペルーに渡り,36年反乱を起したインカからクスコを防衛した。翌年クスコを攻めたスペイン人征服者 D.アルマグロ捕虜となったが,釈放後,逆に彼を攻め,38年捕えてこれを処刑した。この事件のため 40年から 20年間本国で王の命令により監禁生活をおくった。

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デジタル大辞泉

ピサロ(Camille Pissarro)
[1830~1903]フランスの画家。印象派の代表的な画家の一人で、詩情あふれる田園風景を多く描いた。作「赤い屋根」など。

出典:小学館
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ピサロ(Francisco Pizarro)
[1475ころ~1541]スペインの探検家。1533年にペルーに侵入インカ帝国を滅ぼした。のち同僚との争いで殺害された。

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世界大百科事典 第2版

ピサロ【Camille Pissarro】
1830‐1903
フランス印象派の画家。アンティル諸島のセント・トマスに生まれる。少年のころに教育のためパリに来て美術に触れ,この道を歩む決意をする。1855年に父を説得して再びパリに出,万国博覧会でG.クールベに衝撃を受け,J.B.C.コローに心酔する。アカデミー・シュイスでC.モネと出会い,まもなく後の印象派グループに合流する。当時暗い人物画を描いていたP.セザンヌと親しくなり,彼に戸外の光を教え風景画へと目覚めるきっかけを与える。

出典:株式会社平凡社
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ピサロ【Francisco Pizarro】
1475ころ‐1541
スペイン人コンキスタドール(新大陸征服者)。1502年,インディアスへ渡り,13年太平洋を〈発見〉したバルボアの遠征に加わった。ペルラス諸島に滞在中,ビルーもしくはペルーという名の金の豊かな国の情報を得て遠征計画を抱く。パナマで司祭エルナンド・ルケ,ディエゴ・デ・アルマグロと組んで計画の実行に着手。24年と26年の2度にわたり予備調査を行い,トゥンベスにまで進む。27年末パナマに戻り,インカ帝国征服の許可を総督ペドロ・デ・ロス・リオスに求めるが拒否される。

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ピサロ【Gonzalo Pizarro】
1511?‐48
スペイン人コンキスタドール(新大陸征服者)。フランシスコ・ピサロの異母弟。兄フランシスコとともにペルーへ渡る。インカ帝国征服後,1540年伝説上の〈ニッケイの国〉を求めて,キトからアンデスを越えてアマゾンの密林へ遠征するが失敗。42年に制定された〈新法〉の実施と初代副王ブラスコ・ヌニェスベラ赴任に反対し,コンキスタドールや植民者の権益を守るべく反乱を起こすが,48年,ハキハワナの戦でペドロ・デ・ラ・ガスカ麾下の王室軍に敗れ,処刑された。

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大辞林 第三版

ピサロ【Camille Pissarro】
1830~1903 フランスの画家。農村風景や街路、河港を好んで描いた印象派の代表的な画家の一人。代表作「赤い屋根」

出典:三省堂
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ピサロ【Francisco Pizarro】
1475頃~1541 スペインの探検家。南米各地を探検し、1533年インカ帝国に侵入、虐殺と略奪の末これを滅ぼした。後に内紛の中で暗殺された。

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精選版 日本国語大辞典

ピサロ
[一] (Camille Pissarro カミーユ━) フランスの画家。コローの影響を受けたのち印象派の一員として活躍。後には新印象派の手法もとる。田園的情緒をもった風景画を描いた。代表作「赤い屋根」。(一八三〇‐一九〇三
[二] (Francisco Pizarro フランシスコ━) スペインの探検家。バルボアの事業の後を継ぎ、パナマ市の建設、コロンビアの探検などを行なった。一五三三年、インカ帝国を征服、スペインの支配下においた。(一四七五頃‐一五四一

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旺文社世界史事典 三訂版

ピサロ
Francisco Pizarro
1475ごろ〜1541
スペイン人征服者(コンキスタドレス)
1502年アメリカに渡り,バルボアの遠征に加わる。カルロス1世の援助を得て1532〜33年にインカ帝国を征服。大虐殺略奪を行ったが,スペイン人同士の内紛により現地で暗殺された。

出典:旺文社世界史事典 三訂版
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小豆畑和之 石井栄二 今泉博 仮屋園巌 津野田興一 三木健詞
 
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