●ピレネー条約【ピレネーじょうやく】
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ピレネー条約
ピレネーじょうやく
Treaty of the Pyrenees
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世界大百科事典 第2版
ぴれねーじょうやく【ピレネー条約】
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日本大百科全書(ニッポニカ)
ピレネー条約
ぴれねーじょうやく
フランスとスペインとの間に1659年11月7日結ばれた平和条約。1635年フランスの三十年戦争参戦以来、戦争状態にあった両国は、58年の砂丘の戦いでのフランス軍の勝利を機に、翌年講和を結んだ。フランスはピレネーPyrénées山地のルシヨンとセルダーニュおよびアルトアの一部を獲得した。また、ルイ14世とスペイン王女マリア・テレサとの結婚が成立し、50万エキュの持参金をスペインは支払うことになった。これはその後ルイ14世のフランドル侵略にあたり、王妃の権利を主張させる論拠となった。この条約は、ウェストファリア条約(1648)とともに、スペインの没落を決定づけ、フランス優位の時代を開いた。
[千葉治男]
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旺文社世界史事典 三訂版
ピレネー条約
ピレネーじょうやく
Traité des Pyrénées
フランスはアルトワ・フランドルの一部を得,スペイン王妃をルイ14世の妃と決定。のちのスペイン継承戦争の遠因となる。宰相マザランの外交により,ブルボン朝繁栄の基礎がつくられた。
出典:旺文社世界史事典 三訂版
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